もらったり拾ったり

P1240173 田舎に移住して以来、なにごとにつけて「もらったり拾ったり」を実践している。別段、自給を目ざしているわけではないが、金を出して買うなどというのは、最後の最後、どうしても入手不可能と判断したときの選択、ということになる。とくに自宅をセルフビルドするようになって、この傾向がより強くなった感じがあり、ほとんど病気ではないかと思うことさえある。

 しかし私だけではないようだ。ログハウスをセルフビルドする仲間に聞いてみると、例外なく「もちろん」とうなずくわけで、言ってみれば金科玉条ものであろう。たとえば「これ買ってみたんだ」と言っても、およそは「ふーん」といった鈍い反応しか返ってこない。ところが、
「いや、じつは拾ったものなのだ」
「へえー、どこで? もう一つなかった?」
「さあ、どうかな。ほかの人が拾ったみたいだが……」
「その人からもらえないかな。ねえねえ、紹介してよ」
 といった感じに話がはずむ。いや、もう、手のひらを返したような執心ぶりだ。

 そう言えば「もったいない」運動が話題になったことがある。ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性のワンガリ・マータイさんが来日したさいに知った「もったいない」という言葉には、3RつまりReduce(削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)にプラスしてRespect(尊敬の念)が込められている、と深く感銘をうけて始めた運動らしい。

「もらったり拾ったり」も似たような倹約精神から発しているが、少なくとも私の場合は、確たる思想や信念から生まれたものではない。ひたすら倹約したい一念で、どちらかと言えばケチに近いだろう。「もらったり拾ったり」して造ったはいいが、まるで役立たなかったり、さらなる加工のため新たな道具を購入、といった事態が度々ある。結果、最初から買ったほうが安かったりするわけだが、それでも満足なのだから世話はない。

 トップ写真の椅子もそうした一つだ。原型は餅つきに使う臼(うす)で、わが家正面の川岸に捨ててあったものだ。なにやら加工途中の痕跡があるところをみると、欅(けやき)のあまりの固さに断念したものらしく、ならばと拾ってきて椅子に加工してみた。
 ストーブ前に置くつもりだったが、なにせ固い材質なので座り心地がわるく、お尻が冷たい。さらには重いのも欠点で、どうにも使いにくかった。それなりに存在感はあるのだが、およそは役立たずとなって、とうとう単なる場所塞ぎとなってしまっている。

 ところで年明け早々、その川岸から拾いものをした。去年秋の集中豪雨のさい、田圃近くの川岸が崩れて立木が何本か倒れかかった。田圃の持ち主が伐採すると知って、すかさず駆けつけると、枝片付けを条件に「もらったり拾ったり」交渉をはじめた。
 おそらく実生の欅なのであろう。太さは30センチほどとすこし細いし、加えて水辺育ちだけに建材にはならない。軟らかいうえに乾燥に時間がかかるからだが、もっとも最近は、欅のように暴れやすくて扱い難い材木は大工さんに人気がないらしい。こっちは薪にするつもりだからそれは関係ないわけだが、
「薪にする? 欅だよ」
 といぶかしげな顔をされた。

 ご近所でも薪をつかう家はあるが、欅はあまりよろこばれない。すくなくとも囲炉裏ではまず焚かない。煙の刺激が強すぎて目によくないらしいのだが、ここではあえて書かないでおく。いずれ薪割りを話題にするときにでもくわしく書き触れてみたい。
 ともあれ煙を完全排出する薪ストーブではまったく問題ないわけで、そんなこんなで薪の原木集めの「もらったり拾ったり」交渉はめでたく成功した。しかしながら枝片付けやら、玉切りしたうえでわが家まで運びこむのに四日ほどかけたから、やはり買ったほうが安かったね、と言われてしまうと反論できない。

ご存知か

「ご存知か」とは、敬愛する遠藤周作氏が著書『反逆』の冒頭に書いた一節だ。日本に最初に黒人が来たのはいつだったかを読者に問い、京都を訪れた宣教師の一行に黒人の召使いがまじっているのを知った織田信長が「呼べ」と彼独特の高い声で命じ、宣教師はあわてて黒人を伴い本能寺に伺候した。

 合理主義者の信長は人間の皮膚が漆黒に光っていることがどうしても信じられなかった。
「洗え」
 これもひと言。彼はこの男の上半身を裸にして小姓に洗わせた。その皮膚は墨で染めたのだと考えたのであろう。

 と遠藤氏は書きつづけている。これにしびれた。最初に読んだのは、30年近く前のことだが、これほど信長という男をあざやかに描写した文章はない、といまだにしびれつづけている。
 それゆえに織田信長を書けない、というのが本音か、それとも言い訳かはここでは書きふれないけれど、折にふれてこの言葉を思い出したり、書いたりしている。とくに田舎暮らしを始めてから「ご存知でない」ことが多かったせいもあるだろう。

 たとえばカボチャの花だ。カボチャにかぎらず草木の花は、雄しべ雌しべが受粉して結実すると、はるか大むかしに習っている。ところが菜園の真似ごとをするようになったとき、カボチャの花の根元に丸く小さな実があるのを発見、これが大きく育って食用になると知った。これが雌花で、雄花は別にあるのだ。
「ほほう、そうなのか」
 とやたら驚き、驚きついでに、締め切り間際のエッセイを、
「ご存知か」
 と仰々しく書き出してしまった。ところがあとになって「ご存知ではない」のは、どうやら私だけだったらしいと気づいたりもした。

 それに懲りずにまたも「ご存知か」なのだが、冬至の日に昼間が一番短い、とは小学生でも知っている。毎年12月末に冬至をむかえれば「やれやれ、やっと昼間が長くなるか」とホッとするもので、とくに田舎暮らしをはじめた当初はその気分が強かった。

 わが家は東西に細ながい谷間に建っているため、太陽の位置が低い冬になると、山の端にかくれてなかなか顔を出さない。当然、冬至が過ぎれば日の出が早くなる、と大いに期待する。なにしろ最低気温-10℃の土地柄だけに、午前9時近くになって昇ってくる日射しのありがたさは身にしみているのだ。

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 ところが早くならない。いや、遅くなっている気配さえある。
「おいおい、どうしたことだ」
 と調べはじめる。新聞の取り置きを引っ張り出して暦欄を探し、切り抜いてならべてみたりする。するとどうしたことか、日の出時間は冬至が過ぎても少しずつ遅くなっているではないか。そんなバカな、と思いつつ再度調べることになる。

 というのはインターネット誕生以前の当時の話であって、小説の史料調べに公立図書館に行ったついでに思い出して、あれこれ調べることになった。その結果、昼間の長さは太陽の角度によって決まり、日の出日の入りは太陽の運動によるものらしいとわかった。
 言うまでもないが太陽が動くわけではなく、地球の傾きや公転軌道が楕円のため起こる現象のようで、冬至のあと半月ほど待たねば日の出は早くならないらしい。そこのあたりは私には理解不能でうまく書けないが、いまではネット検索でいとも簡単に調べられ、たとえば国立天文台のホームページにくわしく解説されているのでご参照ねがいたい。

パノラマ写真-C

 そんなこんなで山の端に隠れたわが家の日の出は、年が明けた1月13日ごろから少しずつ早くなり、およそは三日間で1分ほど早くなる。上記写真は午後2時半過ぎで、あと1時間もすれば日が暮れる、……と書いてはみたが、やはりこんな話、「ご存知でない」のは私だけだったかもしれないな、といまでは思っているのだ。

遅まきながら……。

 電子書籍のセルフ・パブリッシングを本格的にはじめて、はやくも一年が経過する。短編小説の配信がほぼ終了し、つづいて長編小説や連作小説、あるいは新刊作品を手がける予定だが、この期に及んでやはり必要かと思うようになり、遅まきながらWEBサイトを始めることした。
 ブログを中心として書きつづけるつもりだが、やや時期を逸した種まきだけに、ぶじ発芽して親しんでいただけるサイトに成長してくれるかを心配している。それを願いながら、自己紹介やら電子書籍出版のきっかけなどを書いた一文を、すこし手直してお届けすることにした。

             ――『双子家康・その真相 あとがき』より――

 どうやら自己完結型の人間らしい、と自覚したのは、かれこれ三十年前のことだ。すべてを自分でやりたがり、その結果がどうあろうとも自己満足している。そんな性格だったわけで、フリーランスのカメラマンを手はじめに、VP制作や広告づくりを二十年間やった後、エイヤッ、とばかりに小説を書きはじめ、あげく昭和の最後の年に東京を脱出すると、日光南部の谷間で田舎暮らしを始めた。
 つまりは協調性のない男が、わがまま勝手な生き方を選んだということだから、苦労の連続となるのはごくごく当り前。しかし、いま振り返ってほとんど覚えていないのは、苦労なんぞは片っ端から忘れてしまう性格ゆえだったに違いない。

 とにかく何でも自分で造って暮らした。別段、思想的に自給自足をめざしているわけではなく、単に金で買えないから造るしかないのであって、読みたい小説がないから自分で書く、という場合も含めて、およそは性に合っていたのだろう。ログハウスを自分で建て、家具を造り、山羊を飼い、薪割りのかたわら野菜畑を耕し、その合間に小説を書く、といった感じに過ごして来た。

 そうして七十歳になったとき、新しい何かを造ってみたいと思ったが、必要な家具はあらかた揃えてしまったし、二十年住んだログハウスも建て直すほどでもない。たとえばパソコン自作に手を出してみたこともあるが、パーツの十個ばかりを組み立てるだけだから、半日もあれば完成してしまい、たいして面白くもなかった。
「仕方がない。売れそうもないあの作品でも書きはじめるか」と考えたとき、ふと思いついたのが〝電子出版〟だったのだ。

 出版不況とやらの昨今、周囲は電子出版の話題でもちきりのようだが、じつは一度も読んだことはなかった。ちょっと調べてみると、なるほど、創生期らしいカオス状態。すさまじい玉石混淆ぶりだが、それだけに興味ぶかく、なにより自分ひとりで完成させられるのが、ひどく面白そうだった。
 たとえば小説を書いたとしても、出版社や印刷所の手を借りなければ本にはならない。そこのあたりに自己完結型人間として不満がなかったわけではなく、そもそも売れそうもない本など書いたところで、不況さなかの出版社がウンと言うわけがない。
 その点、電子出版の費用対効果は抜群だ。少数出版などお手の物で、すべて自分でやるつもりだから費用ゼロも可能、とあればやらない手はないだろう。

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 そこで書き出したのが本稿『双子家康・その真相』ということになる。じつは前々から構想してはいたのだが、「とても売れそうにありません」と編集者諸氏がそろって首をかしげたニッチな題材。まったくもって電子出版むきだったわけだ。
 また執筆に使用しているワープロソフトに、電子書籍用のEPUB出力機能があるのも幸いだったが、調べて見るとフリーな変換ソフトがいくつも発表され、さらにはサブ機に入れたLINUXでもそれらの使用が可能のようでもある。

P1230056 当然、全部自分でやる。たとえば表紙デザインだが、使用した〝三ツ葉葵紋〟は、日光東照宮参道に立てられた門標で、これを自分で撮影すれば著作権はクリアでき、奥さんお下がりのデジカメを片手に、車を十五分ほど走らせればこと足りた。こうした金箔物は、「くもり空に撮る」と、かつてカメラマンだったころを思い出しながら撮影したあとは、無料写真編集ソフト〝Paint〟でゆがみを矯正し、同じく無料ソフトの〝JTrim〟を使って文字を組み入れるなども、昔とった杵柄に近い作業ということになるだろうか。

 一番の難関は、kindleやiBooksなどへの登録、税務関係のEINやW-8BEN申請といった出版手続きだったろうか。英文が多いのはもとより覚悟のうえだったが、やたら字が小さくて老眼泣かせ、ルーペ片手のなかなか手強い作業だった。

 かくて出版の運びとなったわけだが、はたしてどうなるか、とすこしばかり気にしている。もともと売れない小説ばかり書いてきたから、反響のなさには慣れたものだが、こんな素材本がどこまで読まれるかに、いささかならず興味がある。さらには本稿を書きすすめる途中、いっそ小説『双子家康』の執筆に踏み込んでみるか、とチラッと思ったりしたのが、なにやら頭の隅にのこっている気配もするのだ。
 それにしても電子出版にさいしては、先行諸氏のブログにずいぶんとお世話になった。その親切さには頭がさがる思いがあり、あらためて謝意をのべておきたい。