緊急パン焼き・ダッチオーブン

「ウソ、まじ?」
 と大声で叫んだ奥さん、いきなり立ち上がるとバタバタとキッチンに駆け込んだ。
「どうした、どうした」
「ガス、止まちゃった。パンいまから焼くところだったのよ」
 いましも発酵がすすんだパン種は、まるまると膨らみ、あとは予熱したオーブンに入れるばかりになったところでの緊急事態発生だ。

 わが集落のような山里では、かろうじて電気と電話だけ、というお粗末な社会インフラでの生活を余儀なくされる。テレビの地上波は映らないし、ようやく設備された水道も湧き水が水源で、住民が交代で塩素を管理する簡易水道という具合。もちろん都市ガスなどあろうはずもなく、ボンベ設置によるプロパンガスなので、ときとしてガス切れという事態が生じる。
 ガス屋さんにあわてて電話を入れたところで、さて、膨らんだパン種をどうするか。

 不便であればこそ様々に工夫し、多様な備えもできている。ならば、と持ち出したダッチオーブンは、ふつうならバーベキューやキャンプ用品だろうが、冬のこの時期、欠かせない調理器具だ。
 常に焚いている薪ストーブとの組み合わせは最強で、肉の煮込みに、ローストにと大活躍で、もう8年前になる、あの東日本大震災もこのコンビで乗り切ったのだ。

 薪ストーブとダッチオーブンによるパン焼きは、前々から一度試してみるか、と思っていたのでちょうどいい機会だった。まずはプレヒート(予熱)が必要だが、薪ストーブより直接炎があたるほうが早い、と判断してカセットコンロを使う。上蓋にのせる炭は、薪ストーブに放り込んで着火させた。

 発酵途中のパン種は、ベタベタとやわらかになっていて手では触れない。下に敷いたオーブンシートを一つずつに切り、火傷に注意しながらフライ返しで移したが、これがかなり難しい。しかも全部は入りきれないので、半分ずつ焼くことにして薪ストーブに乗せる。

 ちなみに使ったダッチオーブンには底部の突起がない。キッチンタイプと呼ばれているもので、薪ストーブの鉄板に密着するため安定がよく、熱効率が断然よい。上蓋に赤々と熾った炭火を載せたが、薪ストーブからの熱ではたして焼けるものか。全体に熱がまわりきらないのでは、と心配しつつ約20分加熱させた。

 そのころにはガス屋さんのボンベ交換がおわり、ガスオーブンでのこったパン種を焼けることになった。図らずもは焼き具合を比較できることになったわけで、ダッチオーブンの焼き色がやや浅めなのは、上の炭が足りなかったせいだろう。

 ともあれ薪ストーブでパンが焼けるのは、危機管理上かなり心強い。切ってみれば,膨れ具合や気泡の入り方に差はほとんどなかった。
 そのころになって気がついたけど、大きめのオーブンシートにパン種をのせて入れれば、火傷の心配せずにすんだかもしれない。

年忘れ料理

 毎年のことだが、歳末は料理でやり過ごす。まずは合鴨を低温で調理し、その合間をえらんで黒豆や昆布巻きをつくり、いわゆる「お節」がわりとする。
 合鴨の低温調理は、恒例になった年忘れの一品持ち寄りパーティー用だが、お節や年越しそばにも利用するので、味付けにすこし工夫した。

①使うのは合鴨の抱き身。鴨ロースとして売られているが、いわゆる胸肉で翼を動かす筋肉。当然、野生の鴨が最上等でかなり高価。むかし狩猟家から譲ってもらったことがあるが、いまでは輸入品の冷凍合鴨で我慢している。なにしろ500円ほどとお安いのが一番。

 まずは冷蔵庫に移してゆっくり解凍する。出来れば丸一日、すくなくとも一晩かけて解かす。水に漬けたりすると細胞が壊れ、てきめん食味に影響する。
 しみ出たドリップをきれいに拭き取り、2時間ほど常温に放置する。肉の内部まで同じ温度にするのが低温調理のポイントの一つ。

②お湯に漬け込むため、ビニール袋に別々に入れる。以前、ひとまとめに試してみたが、重なった部分の熱の通りがムラになってしまった。ビニールは破れやすいので2重にしたほうが安全。
③お湯は60℃。肉を入れたときに冷めるので、やや高めに設定する。もし低くなりすぎたら熱湯を追加してもよいが、とにかく60℃を超えないこと。

 漬け込み時間は2時間。わが家では保温調理器使っているので、一時間に一回、熱湯を注ぎ入れて60℃を保っている。最近では電気式に温度調節が可能な製品も売られているが、大きな寸胴鍋を利用して、とろ火で温めながら60℃を保つ方法でも十分可能だ。

④⑤皮に包丁目を入れ、熱したフライパンで焼く。皮から脂がしみ出てくるので油は入れず、筒切りした長ネギを一緒に焼く。
 ついで鴨肉は取り出し、酒1,みりん1,しょう油1の漬け汁を入れる。しみ出た鴨の脂や焦げ目をこそぎとり、ネギの風味が移し採るためいったん沸騰させる。

⑥あら熱をとった漬け汁に鴨肉を漬け込み、一晩置く。ビニール袋なら漬け汁が少なくてすみ、抱き身三枚使った今回は、酒、みりん、しょう油をそれぞれ半カップ使用した。

 こうした調理法では、まず焼き目をつけてから漬け込む場合が多い。しかし低温調理の場合、腐敗菌が繁殖しやすい30~40℃の通過時間が長くなるため、あとで表面を焼くほうが殺菌効果が高いと言われている。
 また漬け汁に酢を合わせるとやわらかに仕上がる。ここで使用しない理由は後述する。

 60℃・2時間で調理した鴨肉は、肉色があざやかなピンクに、しっとりやわらかく仕上がる。一晩漬け込めば味もしっかり乗っているが、漬け込み時間が短いときには、漬け汁を煮詰めてタレとしてもいい。

 隣村のログビレッジで開かれる年忘れパーティには、こんな感じに薄切りして持ち寄った。それを終えて帰宅後、漬け汁を出汁でうすめ、裁ち落としの鴨肉を入れた「鴨汁そば」で年越しをするのが恒例になっている。

 冷たいそばを温めた鴨汁でいただくのは、日光に移住してから知った。東京で食する「鴨南蛮そば」に似ているが、そばが冷たいほうが、そばの風味が際立つように感じる。
 このため漬け汁に酢を使わないのだが、鴨肉にはややパンチ不足。オレンジかレモン汁を別途加えるなどの研究が必要かもしれない。

 そのほかに、ニシンの昆布巻きをつくり、黒豆を黒砂糖で味付けし、小さなダッチオーブンを薪ストーブで煮たりしたが、新年の食卓はこんな感じでお節料理とはとても言えない。歳のせいだろうけど、鴨肉のお雑煮だけで十分満腹してしまうのだ。

冬のデッキファーム

 一階居室の南面にしつらえたデッキは、外から見るとほとんど二階のように見える。建物自体が斜面に建てられているためで、さらに低い駐車場からだと5メートルもの高さになってしまい、玄関までの登りが少々しんどくなってきたけど、それとは別の話をしたい。

 これだけ高さがあると、眺めがよいのはもちろん、風が気持ちよく吹きぬける。そのせいか虫が寄り付かないので、大きめのポットをならべて植え付けたハーブや野菜は、まったくの無農薬で栽培できている。

 2年前に屋根を架けたので、デッキ床の張り替えや雪かきの必要がなくなったが、そのぶん水やりの手間が増えた。むろん陽ざしも入りにくくなるので夏野菜はミニトマト中心にしているが、低い冬陽になったいまは、朝食用のサンドイッチによく使うサニーレタスや、パセリやローズマリーのキッチンハーブを育てるにちょうどいい。

 種まきしたサニーレタスは、まだ芽吹いたばかりだが、あとひと月ほど後には食卓にのせたい。そのためには透明な育苗ドームで寒さ除けをしたほうがいいかもしれない。

 10月の末ごろだったか、ホームセンターで売れ残りの苗を買った。たしか一株20円だったので、ま、いいか、と思ったわけだが、そのスティックカリフラワーなんぞは、育てたことはもちろん食べたこともない。
「いやぁね、前に料理したことあるわよ」
 と奥さんに言われてしまったけどまるで覚えていない。

 だいたいカリフラワーやブロッコリーの、あのモソモソした食感が好みじゃないので、たぶん手を付けなかったのだろう。よしんば食べたとしても、わざわざ記憶にのこすほどのものではないのだ。

 そうした好みでもない苗を買ったのは、ひとえに安かったからで、いつものわるい癖が頭をもたげてしまったわけだ。売れ残りの枯れかかった苗だったが、大型ポットに自家製堆肥をほどこして植え付け、枯れない程度に水やりをつづけた。

 その甲斐あってか、害虫被害にもあわずによく育ち、葉の真ん中に花蕾(からい)らしきがふくらんできた。これを頂花蕾(ちょうからい)と呼ぶようで、大きく育てて茎ごと収穫すると添付ラベルに書いてある。採り遅れて蕾(つぼみ)がゆるんでしまうと、花が咲いて味がわるくなるらしい。

 かるく塩ゆでして海苔入りマヨネーズ・ソースで食した。花蕾のモソモソ感は多少のこっているが、茎部の歯ごたえはわるくなかった。しかし、まあ、どうしても栽培したい、と思うほどの味ではなかった。

おまけのトピックス

 こちらはどうあっても栽培したい「生食用そらまめ」。ポット苗の根も十分育ったので、アブラムシ除けのシルバーマルチに定植した。寒さ除けにトンネルをほどこしたら、すぐに初雪となった。
 このまま順調に育ち、鹿や猿どもに荒らされなければ、5月ごろ収穫予定だ。

薪づくり2018

 2018年の薪づくりをやっている。ご近所が伐採した栗の木を頂いてあるが、近いこともあって薪になりそうな直径10センチほどの枝まで運んであるので、まずはそのあたりから片付けはじめた。

 伐採が5月とあって季節もよくなかった。すでに水を吸いあげてやたら重く、運ぶのに苦労したし、いくら腐りにくい栗の木でも、白太(樹皮に近い若い木質)の多い枝部分は、早めに処理しておくに越したことはない。

 運動不足の冬に割ってやるか、と思っていたが、今年は雪が多そうな予感がしている。しかも酷暑の夏だっただけに、水分の多い樹皮にキノコが生えだしていた。そこで手をつけたわけだが、さいわい木質部に腐りはないので枝部分だけ処理し、残した太い幹部は来春に割る。

 薪づくりは、ストーブに入る長さ(36~37センチ)に切り揃える「玉切り」から始め、短くて薪棚に積めないコロ薪(端材)とを選り分けるが、枝部分は曲がりや別れが多いぶん手間がかかる。さらに今年の原木は短尺だったので、どうしてもコロ薪が多くなってけっこう時間がかかった。

 栗の樹皮は厚く、しかも枝には量が多い。冬伐りなら樹皮がかたく締まり、そのまま乾燥させることもあるが、今年のように水分を多く含んでいると、乾燥中に剥がれだし、当然のことに虫も入りやすい。
 いずれは燃やすため室内に持込むわけだが、ボロボロ崩れたり、虫が這い出してくるのには閉口する。「きれいに剥がしておいてね」と奥さんにも言われている。

 薪割り機にかけると大部分の樹皮は自然に剥がれてくれるが、節などに固着した部分は、斧などで取り除いてやらねばならない。この作業がちょっと面倒だし、量が半端ではない。結局、軽トラに3台分ほどの量を処理する羽目になった。

 割ったあとは積みあげ作業だ。今年は玄関わきのコンクリート基礎に沿って積みあげるが、斜面下の作業場で軽トラックに積み込み、ほんの30メートルほど移動させては積みあげてゆく。
 もちろん手作業になり、薪1本で2キロ近い重さがある。それを一本ずつ運び、積むのだが、全体で何キロの重量になるのだろうか。積んだ本数を数えてみるか、と毎年のように思ったりするが、試したことはない。

 玄関わきには軽トラ5台分が積み上がった。これで3ヶ月分、いや2ヶ月半ぐらいで燃やしてしまうだろう。小屋に運び入れたコロ薪が約1ヶ月分、残りの幹部で2ヶ月分ほどの薪になるだろうか。こんなふうにして毎年の薪づくりが行われるのだ。

 見やすいところに年号を書き入れておいたが、ちなみに今年は、15年に割った残りと16年物を燃やす。18年と書き入れた今年の薪は、2020年の東京オリンピックが終了した冬に焚くことになるだろう。

芽キャベツの残念

 今冬の楽しみがひとつ消滅する。今年のニューカマーとして「芽キャベツ」を植え、1月中頃の収穫予定、と昨秋に紹介したが、やたら生長が遅れていて、この分では収穫までたどり着けそうもない。

 苗を購入したのは、たしか10月に入ってからだ。初めての栽培だけにネット情報を頼りにすすめていたが、11月の記事掲載時でも成長が遅れ気味のような感じだった。そこで追肥などを処置したが、とうとう遅れを取りもどせずじまいになってしまったのだ。

 どうやら日当たりが悪いと結球不足になり易いようだし、水分不足や肥料切れもいけないらしい。あるいはデッキでの鉢植えでは無理なのか、とも考えたが、件のネット情報によればプランターでの栽培も十分可能とある。
 もっとも畑に地植えしていたら、この大雪に埋まっていたろうから、収穫不能ということでは同じ結果になっていたにちがいない。

 結局のところ日光のような寒冷地では、温かいうちに十分生長させておく必要があるのだろう。再度挑戦するかはまだ決めていないが、早々8月ごろには種をまき、11月には茎の太さ3センチになるようにするつもりだ。

 試しにスーパーマーケットで購入した「芽キャベツ」と比べてみる。その小ささに笑ってしまうが、予告したように自家製サトイモと一緒にホワイトシチューにしてみたけど、こんなに小さいと探すのは無理だろう。

 サトイモは小さめを選んだので出来上がりはわるくなかったが、芽キャベツの味は「可もなし不可もなし」といったところだろう。いわゆる「彩り野菜」の範疇に入るのかもしれないが、そのわりには仕上がり色がよくない。

 そう言えば、軽く塩ゆでした「芽キャベツ」をシチューに紛れこませてしまえば、もっと鮮やかな緑色で撮影できたな、とカメラマンのころ盛んに使った技法をちょっと思い出した。流行りの言葉で言えば「フェイク・テクニック」ということになるだろうか。

満天星とピラミッド

 菜園の隅に植わっているドウダンツツジ(灯台躑躅)を移植した。下向きに咲く白い小さな花を満天の星にたとえられたりするが、土地を購入する以前から植わっていて樹齢40年は超えていると思われる。それだけに巨大なほどに成長して菜園に大きな陰をつくるので、ひと思いに移植した。

 ツツジは元の地主家の墓に隣接して植わっている。いわゆる屋敷墓と呼ばれ、墓葬法が制定される以前からある墓地だけに認められる古い形式なのだが、関西にはなく、関東でも少ないらしく、しかも神道式の墓というのがめずらしい。

 神道式の墓石は、頭頂部を四角錐につくり、「……家之奧津城)」と刻まれている。それを「おくつき」と読むとは、この集落に移住してはじめて知ったわけだが、何度か体験した葬送行事は、日光東照宮の神官がすべてを執行していた。この地方が東照宮領だった名残りなのだろうか。

 ひどく唐突だが「日ユ同祖論」という説がある。明治のころ貿易商(あるいは宣教師)として来日したニコラス・マクラウドが日本と古代ユダヤとの相似性に気づいて体系化したものだが、水や塩で身を清める禊(みそぎ)をする日本神道の習慣は、ユダヤ社会にもあったと言い、古代ヘブライ神殿と日本の神社の構造が似ていたり、ユダヤの聖櫃(アーク)は、日本の神輿(みこし)にそっくりだったりと、その相似点はおどろくほど多い。

 そうした目で見てみると、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を意味するとされる神道式墓石の頭頂部が、古代ユダヤ王の墓と目されるピラミッドに見えてきたりする。むろんここでくわしく書き触れるわけにはいかないけど、一度きっちり調べてみるのもわるくないな、と思ったりした。

 ともあれツツジを移すなら、葉が枯れ落ちた季節がよいらしい。根張りが浅く、丈夫なので移植してもめったに枯れない、との情報に気をよくして強行とあいなった。つかみ装置付のバックフォーだから、こうした作業はお手のもので、周囲を1メートルほどの深さに掘り起こし、根っこに土を付けたまま移動させる。

 根に付いた土塊は直径1.5メートルほどにもなる。はたしてどのくらいの重さになるだろうか。つかんで持ちあげたまま横にまわすと、その重さで反対側のキャタピラーが浮き上がってしまう。無理すれば横転ということもあるので、爪を使って土をかき落として移動させるなど、慎重に作業をすすめて終わらせた。

サムゲタンと山人参

 三月に入ってもなかなか暖かくならない。いや、一度、日光でも雨が降ったが、そのあと寒さがぶり返した。そんなこんなで冷えたらしく、なにやら腹具合がよろしくない、と奥さんが言い出した。
 そこでお粥にしようか、どうせならサムゲタンかな、と発案したわけで、となれば当然、発案者が調理することになる。

1.もち米 1/2カップ
2.水 800㏄
3.骨付きの鶏もも肉 1本
4.銀杏、干しぶどう、クコの実、松の実
5,ネギ、ゴボウ、

 以上の材料を圧力鍋に入れ、約7分加熱。仕上げに塩で味付け、薬味ネギを散らす、というひどく簡単な調理法。まあまあ美味、それなりに満足したが、あくまでサムゲタンもどき。薬膳料理としての薬効はあまり期待できない。

 参鶏湯(サムゲタン)と書くように、参つまり人参が入っていなくてはならない。もちろん高麗(朝鮮)人参のことで、味がよく似たゴボウで代用したが、ゴボウはキク科、高麗人参はウコギ科の植物であるからまるで違う。

 この高麗人参、日光に自生するとのうわさがある。江戸時代・吉宗将軍のころ、朝鮮渡りの人参栽培に手をつけ、日光御薬園で成功したとの記録があり、明治のころまで日光地方の山地で栽培されていたらしい。その名残の人参が山に自生しているというのだ。

 ネット検索した写真をみると、どこかで見かけたような感じがある。薄暗い杉林を歩いたとき、あざやかな赤い実に気づいた記憶があるわけで、それが高麗人参かは定かではないが、あるいは土地で言う“山人参”だったのかもしれない。

 え? ひょっとして地下室にある、あれか?

 地下室にある“山人参”の焼酎漬けは、自宅ログハウスをセルフビルドしたとき、いろいろお手伝いねがった建築家に頂いたものだ。山歩きが趣味で、昨年秋には、みごとなマイタケを頂戴している。おそらくこの“山人参”も自掘りしたものだろう。つまり20年以上も地下室で眠っていた逸品なのである。

 写真で見る高麗人参とはすこし違う。あるいは“竹節(チクセツ)人参”ではないかとも思えるが、いずれにしろゆっくりと調べてみることにする。試みに漬け液をなめてみると、たしかにゴボウのような味がした。

冬を数える

 かつてインディアンと呼ばれたネイティブ・アメリカンに、年齢を聞かれると「冬を何度越したか」を答える人たちがいるらしい。日本の「数え年」と同じようなものか、とおもしろく思ったことがある。

 歴史や時代を舞台にした小説を書いているだけに「数え年」には馴染みがあるし、太陰暦を採用する国や人びとが「数え年」を使うと理解している。調べればすぐわかることだが、おそらくネイティブ・アメリカンの人たちも月の満ち欠けを暦としているのだろう。

 数字的にはいろいろ不都合がある「数え年」だが、生物にとって最大の難関であろう冬を年齢の単位として考えるのは、とても適切のように思える。
 じっさい週休、月給といったサイクルと離れて田舎暮しを経験すると、冬越しの重要さをことあるごとに感じ、生活のすべてが冬にむかって動いていると実感する。

 とくに今年は、はじめて「ソラマメ」を冬越しさせている。畑に直播した苗には、不織布をトンネル状にかけて霜除けとした。風で飛ばされそうになり、雪で潰れたりもして、何度も固定しなおした。いまのところ苗に異常はないようだが、すこし育ちすぎた感じがないではなく、はたして良いのかどうかはわからない。

 鉢植えの苗は、屋根があるデッキに置いてあり、霜に直接当たることはない。切りワラで保温してあるが、さすがマイナス10℃近い寒さには凍えるらしく、朝のうちはしおれたふうだが、陽に照らされるとピンシャンと立ち上がってくる。
「いやいや健気なものだ」と感心する。

 一部、枯れた苗もあるが、ワラをかき分けてみると、根元には新しい脇芽が出ている。たぶん大丈夫だろうし、ひょっとすると、こうして苦難に耐えた苗ほど実りがいい、ということがあり得るのかもしれない。

大根を煮る

 気がつくと日射が多くなり、午前8時半ごろには朝日が当たるようになった。年初より30分は早くなって気分的には春めいてきたが、いまが寒さの底であろうか。連日、最低気温マイナス6,7℃の寒さがつづいている。

 この冷え込みを待っていたご近所の天然氷屋さんでは、14,5㎝の厚さに凍らせた氷を切り取り、氷室に運ぶ作業がはじまっている。例年より10日以上遅いようだし、2回目の取り入れが出来るかどうか危ぶんでいるらしい。

 そう言えば、例年のようなマイナス10℃を下まわる寒い日はまだない。移住したてのころには、マイナス15℃を記録したこともあるから、やはり温暖化が進行しているのだろうが、こんな年にかぎってドカ雪が来るから油断はできない。

 この寒さに大活躍している薪ストーブで大根を煮た。いいただき物の大根を無駄にしないためで、いろいろ試してみた。たとえば一度冷凍させたほうが早く味がしみやすい、とのネット情報に乗ってみたが、たしかに早く煮えるようだが、柔らかさにむらがあり、味が変わるような気がした。

 結局は、薪ストーブでコトコト煮るのが一番、という結論になった。どうせ一日中燃やしているのだから、調理時間無制限でいいというわけだ。

 大きめの寸胴鍋に、昆布を10㎝ほど入れ、大根一本を輪切りにして火にかけておく。皮はむくが、面取りなどはしない。米か糠を入れて下茹でするほうがよいらしいが、最近の青首大根ではそれほどのえぐ味は感じない。

 薄味をつけてふろふき風にしたものに、肉味噌を添えたり、和辛子で食したり。下処理した牛すじ肉で出汁をとり、豆腐と一緒に煮込むのものもわるくなかったが、やや味が濃いめ過ぎたか。

 といったふうにいろいろ試したけれど、牛すじ肉の出汁に、関西風のおでん味にしたものを和辛子で食すのが一番だった。たくさん食べるにはシンプルな味付けがいい、ということかもしれない。

ご存知か

「ご存知か」とは、敬愛する遠藤周作氏が著書『反逆』の冒頭に書いた一節だ。日本に最初に黒人が来たのはいつだったかを読者に問い、京都を訪れた宣教師の一行に黒人の召使いがまじっているのを知った織田信長が「呼べ」と彼独特の高い声で命じ、宣教師はあわてて黒人を伴い本能寺に伺候した。

 合理主義者の信長は人間の皮膚が漆黒に光っていることがどうしても信じられなかった。
「洗え」
 これもひと言。彼はこの男の上半身を裸にして小姓に洗わせた。その皮膚は墨で染めたのだと考えたのであろう。

 と遠藤氏は書きつづけている。これにしびれた。最初に読んだのは、30年近く前のことだが、これほど信長という男をあざやかに描写した文章はない、といまだにしびれつづけている。
 それゆえに織田信長を書けない、というのが本音か、それとも言い訳かはここでは書きふれないけれど、折にふれてこの言葉を思い出したり、書いたりしている。とくに田舎暮らしを始めてから「ご存知でない」ことが多かったせいもあるだろう。

 たとえばカボチャの花だ。カボチャにかぎらず草木の花は、雄しべ雌しべが受粉して結実すると、はるか大むかしに習っている。ところが菜園の真似ごとをするようになったとき、カボチャの花の根元に丸く小さな実があるのを発見、これが大きく育って食用になると知った。これが雌花で、雄花は別にあるのだ。
「ほほう、そうなのか」
 とやたら驚き、驚きついでに、締め切り間際のエッセイを、
「ご存知か」
 と仰々しく書き出してしまった。ところがあとになって「ご存知ではない」のは、どうやら私だけだったらしいと気づいたりもした。

 それに懲りずにまたも「ご存知か」なのだが、冬至の日に昼間が一番短い、とは小学生でも知っている。毎年12月末に冬至をむかえれば「やれやれ、やっと昼間が長くなるか」とホッとするもので、とくに田舎暮らしをはじめた当初はその気分が強かった。

 わが家は東西に細ながい谷間に建っているため、太陽の位置が低い冬になると、山の端にかくれてなかなか顔を出さない。当然、冬至が過ぎれば日の出が早くなる、と大いに期待する。なにしろ最低気温-10℃の土地柄だけに、午前9時近くになって昇ってくる日射しのありがたさは身にしみているのだ。

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 ところが早くならない。いや、遅くなっている気配さえある。
「おいおい、どうしたことだ」
 と調べはじめる。新聞の取り置きを引っ張り出して暦欄を探し、切り抜いてならべてみたりする。するとどうしたことか、日の出時間は冬至が過ぎても少しずつ遅くなっているではないか。そんなバカな、と思いつつ再度調べることになる。

 というのはインターネット誕生以前の当時の話であって、小説の史料調べに公立図書館に行ったついでに思い出して、あれこれ調べることになった。その結果、昼間の長さは太陽の角度によって決まり、日の出日の入りは太陽の運動によるものらしいとわかった。
 言うまでもないが太陽が動くわけではなく、地球の傾きや公転軌道が楕円のため起こる現象のようで、冬至のあと半月ほど待たねば日の出は早くならないらしい。そこのあたりは私には理解不能でうまく書けないが、いまではネット検索でいとも簡単に調べられ、たとえば国立天文台のホームページにくわしく解説されているのでご参照ねがいたい。

パノラマ写真-C

 そんなこんなで山の端に隠れたわが家の日の出は、年が明けた1月13日ごろから少しずつ早くなり、およそは三日間で1分ほど早くなる。上記写真は午後2時半過ぎで、あと1時間もすれば日が暮れる、……と書いてはみたが、やはりこんな話、「ご存知でない」のは私だけだったかもしれないな、といまでは思っているのだ。