お歯黒で木を染める

 江戸期の既婚女性の化粧法に「お歯黒」がある。欧米人にやたら不評だったようで、外面を気にする明治政府が躍起になって禁止したり、故意に女性を醜くみせて貞操をまもろうとしたにちがいない、とうがった推測をする英国公使がいたりしたが、虫歯や歯周病予防に効果があったとの報告もある……という話は書き出し早々の余談で、この「お歯黒」を利用して木を染める方法を試してみた。

 お歯黒は、簡単にいうと鉄分とタンニンの反応による「鉄媒染」だ。鉄漿付け(かねつけ)とも称され、酒・酢・ぬかを混ぜた水に古釘を入れて半年ほども寝かしてつくった溶液(つまり鉄漿水……酢酸第一鉄)を、タンニンと結合させて黒変させるものだ。

 そうした鉄漿水もどきの溶液は、キッチンにあったお酢にスチールウールを漬けこんで反応させる。三日ほどでよいとの情報なので、その間に木工品をつくり上げてしまおう。

 小さなマガジンラックをつくることになるが、材料には栗を選んだ。鉄漿水と反応させるには、なるべくタンニンが多いほどよいわけで、となれば栗材ということになる。もし他の材料を使うなら、組み上げたあとタンニン液を塗ってもよいらしい。歯を染めるには生薬の五倍子粉(ふしこ)を使ったようだが、栗の渋皮・のこ屑の煮出汁、あるいは濃い紅茶を塗る方法もあるらしい。

 主題が染めなので、工程は写真で判断していただこう。もちろんすべてを黒く染めたいので、細い材もふくめて総クリでつくり上げ、ビスケット接合を多く使用したが、木工ボンドのはみ出しは丁寧にふき取らねば、染め残しの原因になる。

 三日ほど漬け込んだ鉄漿水は、ややドブ臭さを感じる。時代小説に書かれる「お歯黒ドブ」とはこんな臭いだったのだろうが、すぐに慣れてしまいさほど気にならない。塗った直後は褐色だが、反応がすすむにつれて濃度を増し、重ねて塗りすすめれば真っ黒に変化してくる。塗りおえたら完全に乾かしておく。

 おもしろいことに乾くにつれて青みを帯びてきた。万年筆などに使ったブルーブラックのインキを思い起させる色合いだが、オイルフィニッシュをほどこすと深みのある黒に代わる。それがまたおもしろい。

 オイルを塗ったあと、少し時間おいてふき取ってしまうと、木目に入り込んだオイルが木目を浮き立たせる効果がある。また木地に脂分があったらしい部分がすこし黒さが足らなかったので、黒マジックで補修してみたが、ほとんど差異がなかった。

 仕上がったマガジンラックはこんな場所に置いている。栗材のタンニンは、消臭効果のある柿渋石鹸の何倍もふくまれているようなので、いわゆるデオドランド効果も期待できるだろう、とのおもいもある。

袋栽培・ひとつの実験

 猿襲来のジャガイモ畑のあまりの惨状に、おもわずパチンコなんぞをポチってしまったけど、これで追い払ったって一時しのぎに決まっている。猿が相手じゃ仕方がないと、栽培をあきらめるのは簡単だが、ここで引き下がるのも癪な話。いろいろ考えめぐらしたあげく、ちょっとばかり面白い方法にたどりついた。

 山羊小屋の屋上緑化を考えていたとき、サツマイモの袋栽培という方法を知った。いわゆるコンクリート製のビル屋上でも緑化ができるわけだが、方法がやたら単純ながら、緑化効果もありそうだった。しかし、いかにも直接的で面白みに欠け、スタイリッシュじゃないな、などとガラにもなくおもって却下。じっさいには苦労して土を運びあげ、乾燥に強いクリーピングタイムを植えた。

 そうした経緯は、いま書きすすめている『つくる暮らし 家づくり編』で紹介するつもりだが、一度は却下した袋栽培を猿害対策に使ってみようか、ともくろんだわけだ。
 方法はひどく簡単。土のう袋に土を入れて、サツマイモ苗を植えるだけ。ちょうど時期だったので10本ほど購入して試してみることにした。

 この袋栽培は、都会のマンションでも可能なことから、ちょっとした人気になっているようだ。ウェブサイトをのぞいてみると、ガーデン用と称したおしゃれな栽培袋が売られていたが、もちろん価格の安い土のう袋でかまわないし、土のう袋ならではの理由もある。黒いものがよさそうにおもえたが、やや値段が高いのでふつうの白い袋でも試してみた。

 さて植えたあとがこの方法の特徴だ。目標達成なるかならぬかは、この一点にかかっている、とやたら大仰な言いざまだが、なに、たいした方法ではない。苗が顔を出した状態で袋を閉じてしまえばいい。土のう袋には、そのための紐がとおしてある。苗が活着してからでもかまわないが、サツマイモならほとんど根付いてくれるだろう。

 それにしても、ならべられた袋の口から、ちょこんと苗が顔を出しているのは、やや異常な光景。猿どももさぞびっくりするのではないか。いままで猿を観察したところでは、見慣れないもの、あるいは新しいものには手を出さない傾向がある。ずらり並んだ袋を警戒する可能性もあるようにおもう。

「でも、せっかく育ったところでひっこ抜かれてしまわないかしら」
 とは奥さんの感想だが、そうしたこともたぶんあるだろう、と想定している。しかし、たとえ育った苗を引っこ抜いても袋の口は閉じられている。中で育ったイモを取り出せないのである。

 猿どもにしたら、せっかく襲ってもイモにありつけない「意地悪な栽培」になるだろう。何度かそれを繰り返せば、そんな袋の畑には手を出さない、という「教育的指導栽培」にもなるんじゃないか、ともくろんでいるのだ。
 はてさてどうなるか。結果については続報をお約束しておこう。

おまけのトピックス
 ニンニクを収穫した。あいにく台風余波の雨にたたられ、三日ほど遅れたためすこし育ちすぎだった。ちなみに収穫したニンニク畑の跡地にも20本ほどの苗を植えてみた。袋栽培がいよいよ大成功しそうな予感がしている。

煙突掃除

 この時期にすませておきたいのが煙突掃除だ。溜まった煤が湿気を帯びると固まりやすく、煙突内にこびりついてしまう。そうなると掃除ブラシを通しただけでは容易に落ちず、固着して炭化すれば、ときには煙道火災の原因となる。

 梅雨入り前のひと仕事だが、一昨年、煙突を交換したのを機に、専門家に依頼することにしている。20数年間やってきた作業で慣れてはいるけど、あたらしい煙突用の掃除ブラシがかなり高額だったので、いっそ頼もうということになった。なにしろ半年後には後期高齢者だから、屋根に上るのはそろそろ遠慮しようか、という考えもある。

 昨年の掃除では、煤の付着が思いのほか少なかった……と作業してくれた専門家もおどろいていたが、20年燃やしてきた当方にすれば、例年と変わらない煤の量に、まあ、こんなものだろう、というのが感想だった。

 煙とともに上昇する煤は、煙突の曲がり部分に溜まりやすく、また外気で冷やされたところで付着する。そこで断熱二重煙突が効果的ということになるが、それよりなにより燃やす薪の乾燥具合が大きく影響する。

 秋が深まってからの「薪割り」は、いわゆる冬支度の光景なのだろうが、割ったばかりの薪を燃やすようでは、煤の大量付着を覚悟せねばならない。少なくとも水気の少ない冬に伐り出した原木を春先に割り、梅雨前に軒下に積みあげておきたいが、わが家ではさらに一年間寝かせてから燃やすようにしている。煤の少なさは、一にも二にも薪の乾き具合、と考えてよいだろう。

 ストーブに接続する曲がり部分を外す。この部分は単管のため冷えやすく、煤の付着が多いところだ。また空気量を調節するダンパーもついているのでより多くなるだろう。
 新煙突になって燃え方が非常によくなり、火力調節にダンパーを最大に絞って燃やすことが多くなった。となれば煤量が増加するはずだが、袋に溜まった量はこの程度。毎日20時間近く燃やしてこの量ならよしとすべきであろう。

 屋根上のトップも点検する。じつは昨年は、あまりの煤の少なさに省略しているから、二年ぶりの点検だが、ほとんど付着はなかった。そんなこんなで約1時間の作業であっさり終了した。ただ見学していただけだけど、やはり上ってしまった屋根の上は、やたらと気持がいいものだった。

おまけのトピックス。
 ついでに撮影した集落のパノラマ全景。

薪の原木入手

 お隣さんが背後林を伐採した。ほとんどが杉だが、一本だけ広葉樹が混じっている。
「雑木あるけど、薪にするかい?」
「え? 薪? 使わないの?」
「んにゃ、栗だから……」
「あ、なるほど……。もちろんいただきます」
 と話は即座に決した。薪仲間というべきお隣さんだが、パチパチとよく爆ぜる栗の木は薪にしない。囲炉裏を使っているため火の粉が飛ぶのを嫌うからだ。

 栗の木は導管(根から水を吸いあげる管)が太く、乾燥させると水がぬけて空気がはいりこみ、燃やしたさい膨張して弾けて火花を飛ばす欠点がある。また空気を多くふくむため持った感じが軽く、ナラなどに比べると火持ちにやや劣るが、火力はそこそこあり、あんがい乾きやすいという利点もある。

 そうした栗の木の特徴だが、むろん薪ストーブで燃やすぶんにはまったく問題はない。ちなみにケヤキも囲炉裏の薪にはしないようだ。燃やしたさいの煙がよくないらしく、眼を痛めてしまうという話も聞いた。

 ケヤキの葉にはわずかながら塩分がふくまれ、囲炉裏やたき火のような低い温度で燃やすとダイオキシンを発生させるようで、並木の落ち葉が大量に持ち込まれる都会の焼却場でのダイオキシン発生が問題になったことがある。あるいはこれが眼によくない原因なのかもしれないが、塩化ビニールを燃やすのに比べると、非常に少ない量であるから、たき火やストーブで燃やしても心配はないらしい。

 ともあれ、これで今年の薪入手はすんだわけだが、わが家まで運んでくれたグラップルローダー(林業運搬車)では積みきれない太い原木があり、とりあえず空き地までは搬出しておくとのことだった。つまり細かく切断して運べというわけだ。

 たしかに太い。わが家のバックフォーのつかみ装置ではくわえきれず、ベルトで運びあげるにしても重すぎる。アームでは持ち上げきれず、排土板を作動させれてようやく持ち上げたものの、軽トラックに乗せるのは考えものだ。以前、薪を積みすぎてタイヤを破裂させた経験がある。

 となれば切断するしかない。わが家で一番大きなチェンソー(ハスクバーナ372)を持ち出したが、なにしろ直径1メートル以上もある。60センチのバーでも届かないので前後から刃を入れる。ただし伐採したばかりだから、水分が多くてやわらかなので作業はあんがい楽だった。

 二つに切り飛ばしたが、太すぎてベルトが回りきらない。さらに縦切りしてようやく軽トラに積み込んだけど、椅子の座板にちょうどいい大きさになった。いっそ製材して板にしてもいいけど、乾燥させて使うとなると3年先か、などと考えているところだ。

OMソーラーの修理

 わが家のセルフビルドは1994年の春にスタートしている。完成となると定かではなく、一年半後に住みはじめたが、床板は張れておらず下地コンパネの上を土足で生活していた。しかしOMソーラーの工事は屋根工事と同時のはずだから、およそ23、4年前の設置ということになる。

 空気集熱方式のOMソーラーや、考案者の奥村昭雄氏(東京藝術大学名誉教授)についてはここでは書き触れないけど、かなり初期の導入だったことになる。20数年間のトラブルと言えば、雷電波をひろって損傷したマイコンを交換したぐらいなもので、機構そのものは故障しらずでよく働いてくれた。

 ところが半年ほど前、どうも床下に熱が送られていないのに気がついた。この冬は特別に寒かったため気づくのが遅れたのだが、屋根で行われる集熱は、いわゆる温室だから故障のしようがなく、集熱ファンも作動音を聞くかぎり回っているようだ。それでいて床下に風が送られてこないのだ。

 書き忘れているが、OM設置も工務店なしのセルフビルドだった。構造計算を依頼した若手建築家が浜松まで出向いて講習会に参加し、日光市初めての導入事例になったはずで、設置時にはOM協会からの技術指導をたのみ(文字通り指導するだけで、釘一本打たなかった)、板金屋さんに手伝ってもらって工事した。たとえば曲がりくねったダクトの接続工事は、建築家と奥さんが担当といった具合だ。

 そうしたことから故障調査も建築家にお願いしたのだが、どうもはっきり原因がつかめない。同じころ故障した貯湯タンク(夏になると排出する高温空気でお湯を取る)との関連も疑われたが、どうやらハンドリングボックス(集熱した空気を床下に送ったり、屋外に排出する)のダンパーを動かすモーターの故障と判明。20年以上も使ったので寿命と考えてよく、取り寄せて交換ということになった。

 交換作業は建築家と電気屋さんが当たってくれ、私はまったくノータッチだ。若手だった建築家もすっかりおじさんになり、かなり老眼がすすんでいるらしく、マニュアルを読むのも苦労している様子。
 作業手順を把握するのがやたら難解だったけど、作業そのものはごく順調。スイス製のあたらしいモーターの軸位置をたしかめて取り付け、ソケットをマイコンの所定の場所に差し込むだけだった。ただし曇天のため集熱されていないので動作は確認できない。
 翌日、棟温度45℃になり動作しているのを確認。その後、あたらしい貯湯タンクも設置されてお湯とりも開始し、このところの好天気には、ボイラーをほとんど作動させずに入浴できている。

ついでのトピックス
……嵐も吹けば、雨も降る……
 鹿にかじられ、猿に引っこ抜かれたりしたが、しぶとく何本か残ってどうにかこうにか収穫をむかえ、ペコリーノチーズと一緒に食卓にのっている。
……ここに倖あり、あおい空……
 生食用ファーベ(そら豆)を話題にしているが、唄がやたら古い。

A4箪笥+柿渋

 わが家にある柿渋染めの酒袋製品をみながら、いつかは柿渋を試してみようと思っていた。じつを言うと母屋をセルフビルドしたとき、丸太用の柿渋づくりに挑戦したことがあり、青柿ジュースを絞るまでやってみたが見事に失敗。仕方なく市販の柿渋を使ってみたが、思うような結果が出なかった記憶がある。

 今回、A4箪笥に試してみる「上柿渋色人」とは、着色専用の柿渋らしい。染料などの着色料は一切使わず、天然の渋からつくられていて、木材はもちろん、布・和紙などにも使えるとある。ただし通常の柿渋のように耐水性、防虫防腐効果はないらしいので、塗り乾かしたあと、オイルフィニッシュで仕上げるつもりだ。

 A4箪笥は240番ほどの細かいペーパーで丁寧に仕上げた。とくに木工ボンドの塗り跡には着色されないので注意が必要。
 柿渋人のキャップをあけると、オイルスティンのような石油臭とはまったくちがい、かすかな発酵臭(腐敗臭?)がする。使用する分量をとりわけるが、そのあときっちり蓋を閉めておかないと、ゲル状に固まって膜が張ってしまう。通常の柿渋でも同じょうな現象が起きるらしい。

 かなり濃いので水で2倍にうすめて使用するが、塗り方にコツはない。ハケは木目に沿って動かしたほうがムラなく塗れ、2度塗りしたほうが濃くなるようだが、今回は一度塗りですませた。
 水溶性なのでハケは水洗いでよいのだが、ふと懸念があるのに気がついた。

 一晩乾かしたあと、やはり、とすこしばかりがっかりする。ツルツルにペーパー仕上げしたはずの表面が、ひどくザラザラしている。このあたりがサンダー加工の欠点で、水分を吸って木の繊維が起きあがってしまったのだ。よく切れる和鉋仕上げのようなわけにはいかない。

 そのぶんオイルフィニッシュ時の研ぎ上げに時間をかけた。オイルを塗り、乾かないうちに400番ほどの耐水ペーパーで円を描くように研ぐ。研ぎカスを十分だしたあと、乾いた布で木目に沿って拭いとれば、研ぎカスが細胞の導管に入り、同時に繊維の毛羽立ちを寝かせてくれる。

 完全に乾かしたらもう一度オイルを塗り、よく乾いた布でふき取ってしまえば、好みのしっとりした感じに仕上がる。
 柿渋の色合いもわるくなかったが、作業している間に次は「お歯黒染め」を試してみようか、と思いついた。

 

 

おまけのトピックス

 猿来襲! ジャガイモ全滅だ。しかも二度にわたっての波状攻撃。
 初めの来襲では、囮栽培の畑だけの被害ですんだので、もくろみ通りの展開だ、とほくそ笑んでいた三日後に再来襲されてはたまらない。
 もう大丈夫だろうと、追肥と土寄せした北側の畑はむざんに荒らされ、行きがけの駄賃とばかりに芽を出しはじめた苗類やソラマメもひっこ抜かれてしまった。
 ニンニク、茗荷は無事だったが、しかし許さん! と思わず動物撃退用のゴムパチンコをポチッってしまった。

A4箪笥

 引き出しを主にした収納家具は「箪笥」とよばれ、ほとんどの場合、収納するものにあわせてつくられる。それぞれ衣装箪笥・茶箪笥・薬箪笥・刀箪笥といったふうに名づけられ、変わったところでは、運び出しやすいように車輪を付けた車箪笥、二階への上り下りに使える階段箪笥、船に積みこんで使う船箪笥などがある。

 今回つくっているのは、江戸のころだったら帳箪笥とよばれた。商家の主人あるいは番頭が帳付けをする帳場に置かれたもので、金箱や大事な書付を入れる「からくり」を備えた帳場箪笥とはちがい、もっぱら大福帳などを収納する小箪笥をいった。
 ちなみに商家の帳場は木の縦格子で囲まれているものだが、仕切りというには低いものだし、むろん飾りというわけではない。主人あるいは番頭のみが入れる結界を意味し、許可なく立ち入ることを禁じているのだ。

 商家ではないので大福帳はもとより家計簿なども付けないけれど、多少なりとも保存したい書類や資料があり、そのほとんどがA4サイズなので、A4箪笥とでも名付けようかと思っている。
 高さを変えた引き出し5種類×2列とちょっと欲張った。じつは10年ほど前、ほぼ同じデザインで製作しているが、A4サイズきっちりにつくったためクリアファイル入り書類が収納できず、やや使いにくかった。

 側板はナラ材で組み上げ、鏡板はクリ板をはめ込み、引き出しを支える仕切り板を差し込むための溝を彫る。6ミリ厚の合板用と表面側は10ミリ溝にする。見栄えを考えてナラ材をはめ込むためだ。
 天板はナラ材をビスケットで張り合わせ、側板は2か所、中板1か所を同じくビスケットで接合する。
 底はナラの細角材で組み上げ、合板をはめ込む溝を彫り、見えない部分で側板とねじ止めした。

 仕切り板をはめ込み、表面側からナラの細材を組み入れ、すべてボンド止めとした。
 表板は一つひとつ、正確に削りだしてきっちりに納めたい。今回は表板をすこし沈ませて、仕切り桟を強調することにした。そのぶん側板や底板を短く計算する。

 なにしろ引き出し10枚だから材料が多い。ちなみに表板はナラ材、側板・奥板はヒノキ材、底板はシナ合板を使った。
 表板に側板を納める段を切りおとし、側板とともにシナ合板用の溝を彫る。まず底板を差し込んでから側板を組み込むが、側板はわずかに沈むよう薄く仕上げておく。引き出しの出し入れがスムーズになるからだが、むろんガタ付くようではやり過ぎだ。
 ボンドを併用し、頭が小さな化粧板用の細くぎを打ち込んだ。

 撮影用に表板にツマミを付けてみたが、色付けやオイルフィニッシュの作業を終了させてから取り付けるほうがよいだろう。
 今回は柿渋による色付けを試してみるが、次回掲載とする。

石垣補修工事

 いままで意識したことなんて一度もないが、良くて50年、大体は30年経ったらそろそろ考えたほうがよいらしい。ほとんど半永久的と思っていたコンクリートやモルタルの話で、その耐用年数の短さをいまさらのようにおどろいた。

 1960年の東京オリンピックの舞台となった国立競技場も建替えられているが、敷地にある石垣は、そのころ工事した、と元の地主さんから聞いている。南向きの斜面に土止めとして設け、ひな壇状の平地をつくるのに役立っていたのだが、むろん日射と風雨にさらされ放題だったわけだ。

 バックフォーのバケットがコツンと当たっただけだが、玉石を固定したモルタルは無残にもはがれてしまった。思いのほかに劣化していたようで、玉石は大きく浮き上がり、隙間に石を差し込んではみたが、このまま放置すると、どんどん崩れそうな気配がする。なにはともあれ固定処置が必要だろう。

 本来なら一度崩して再度積み上げるべきだろうと思う。たとえば崩した玉石の表面を洗ってやれば、モルタルがよく接着するはずだが、どこまで崩したらいいかわからない。
 第一、丸い石を上手に積み上げる自信はないわけで、このままの状態でモルタルを詰め込んで固定してしまうことにした。

 いろいろ考えたすえ、補強用に鉄線を入れることにした。壁用にモルタルを塗るときのようにラス網があれば、あるいは亀裂防止になるような気がしたのだが、保存したはずの半端なラス網がみつからない。仕方がないので鉄筋結束用の鉄線で代用することにし、適当に折り曲げながら隙間に押しこんだ。

 使ったのはインスタントコンクリート。ただ水で練ればいいだけだから、こうした補修工事にはもってこいの材料だろう。やや固めに練ったほうが扱いやすく、なるべく隙間の奥までとどくよう手で直接塗りこめてゆく。

 最後に濡れ雑巾で塗り面の凸凹をおさえ、同時に玉石の表面に着いた余分なモルタルを拭きとって仕上げておいた。1時間ほどの作業だったが、いずれはきちんとした擁壁工事になりそうな気配だった。

おまけのトピックス
 さわさわと冷たい風が吹きはじめたら、いきなり落ちてきた。雹(ひょう)だ。あわてて屋根の下に飛び込み、ダウンベストを着こんだけど、トマト苗のつぼみが折れてしまった。

酷暑対策・冷風除湿機

 二階にある書斎は、吹き抜けに面しているため薪ストーブの熱気が溜まりやすく、マイナス10℃の厳冬期でも暖房はいらない。そのぶん夏の暑さには弱く、換気扇フル活動、加えて北側の窓全開でもおいつかず、そこで涼しい一階の和室に避難することにしている。

 セルフビルドしたわが家にはOMソーラーを導入(むろん自己工事)してあり、夏季モードには冷風機能がある。夜間の冷たい空気を取り入れて、床下の蓄熱コンクリートを冷やしておく。つまり冬季に、日射で暖まった空気を床下に送りこむのと逆の方法で、床下を冷やしてしまうわけで、一階リビングのフローリング床などは、日中ひんやりと感じられるのだ。

 ただし避難した和室は畳敷だし、床下は地下室なのでOMによる効果はない。その代わり床に開口部をつくり、地下室の涼しい空気を取り入れるよう工夫した。
 話は前後するが、わが家はメーターモジュールでつくった。そのため畳敷の和室に一部分フローリング仕上げがあり、そこを切り抜いて換気扇を取り付けたもので、たとえ真夏でも27,8度の空気を取り入れられるのでかなり涼しい。

 しかし地下室の空気だけにやや湿気がある。そこで除湿機を使用したいのだが、所有機はかなり発熱するので室温を高めてしまうので使えない。発熱しない除湿機を導入するか、あるいは窓用エアコンの除湿機能を利用するほうが手っとり早いか……。

 いろいろ調べた結果、海外にはこんなエアコンがあるようだ。小型でスタイリッシュだが、国内では販売していない。そこで見つけたのが冷風機能付き除湿機
 機能的には小さなエアコンと考えればいいのだろうか。冷媒によって空気を冷やし、同時に水分を結露させて取りのぞき、そのとき発生した熱は、本体の背後に取り付ける排気ダクトによって窓などの室外に逃がしてしまう方式。

 室温27℃の場合、10℃低い冷風が吹き出すそうだが、そこまでの機能があるかどうか。基本的には除湿機と考えたほうがいいようで、24時間で10Lの除湿能力があり、溜まった水はタンクを外して捨てることになるが、ホースを連結して自動排水することもできる。

 例によってオークション入手。窓用エアコンと同程度の価格になってしまったが、定格消費電力は220Wと窓用エアコンの三分の一程度だから、電気料もさほど気にせずに使えるのがいい。

 当初、台に乗せて窓ぎわに置くつもりだったが、畳とフローリング床の境になるため不安定になってしまう。そこで窓枠に乗せる台をセットするよう計画変更した。
 窓にはめ込んだ木枠には、本体を乗せたとき排気ダクトが収まるような大きな穴をあけ、窓枠に張った隙間テープの一番下から排水ホースを通すようにした。
 目論み通りの機能を発揮してくれれば、たとえ暑い夏でも執筆に専念出来るだろう。書けるかどうかは別にして。

 言い忘れていたが、使わないときは写真のようにすべて取り外しておく。ついでに窓下の丸太と畳に挟まれたフローリング部に、地下室からの換気口が見えている。白いLANコードが出ているが、いずれきちんと処理するつもり……で10年そのままになっている。

キーボード交換

 先日オークションで購入した英字パソコン(Thinkpad X61)のキーボードを交換した。プリントした白抜き文字を貼り付けてしのごうと思ったものの、やはり使いづらいし、どうにも気分がわるい。たまたま低価格の日本語キーボードをみつけたので、ついついクリックしてしまったのだ。

 いまさらThinkPadを話題にするのはいささか気が引けるし、さほどパソコンにくわしいわけではない。ワープロ代わりに導入してから15年ほどか。たまたまレノボ製のThinkpadのキーボードの打ち易さが気に入ったのだが、後になってIBMから譲渡されたブランドと知り、なるほど、と思った。もともとIBMはタイプライターのメーカーだったのだ。

 つまりIBMブランドは、そのころすでに中国の聯想集団(レノボ)に譲渡されていたわけだが、Thinkpadの開発・設計は一貫して日本IBMの大和研究所(神奈川県大和市)で行われていたらしい。
 そうした事情も知らずに中古入手したThinkpad X61sの使い心地はわるくなかった。やや重いのはマグネシウム合金フレームによる堅牢さゆえだろう。キーボート中央の赤いトラックポイントは、Thinkpad独特な機能だが、慣れると癖になるほど使いやすい。

 そしてなにより特筆すべきは、整備マニュアルが公式に公開されていて、交換用パーツの販売にも応じているため、自己責任ながらユーザーによる分解・整備、あるいは修理が容易に行えることにあるだろう。なんでも自分でつくりたがる「自作人間」の私にとって、これほど魅力的なことはない。

 他メーカーにはない、こうした設計思想の発案が、IBM本社か日本IBMの大和研究所だったかはわからないが、いずれにしろネジを隠すようにラベルを貼ったり、プラスネジですむところをわざわざ☆型頭に変え、ユーザーの分解・修理をし難くするケチな考えがないのが好ましい。おそらくレノボに譲渡されるさいの条件に、こうした設計思想の継承も入っていたのだろうと想像する。

 ちなみにThinkpad X61の発売は2006年。そうした古い機種のパーツの入手は、普通かなり困難なものだが、レノボ・サポートでほとんどの部品が購入てきることになっている。またネット上でも販売されているし、オークションサイトを当たれば低価格の中古品を手に入れることも可能だ。
 ネット購入した日本語キーボードは新品ながら、通常より千円ほど安く売られていたが、オークション購入した本体とほぼ同価格なのだから、あまり安い買い物とは言えないか。

 しかし作業はじつに簡単。くわしくはここを参照してもらえばいいのだが、裏面の外すネジ四本のうち、バッテリー部にある一本がややわかりづらい。しかしこれも、交換作業にはバッテリーを取り外すようにとの配慮なのかもしれない。

 キーボードを外すには、全体を押さえながら上部にすこしずらし、隙間にプラスチック製のヘラなどを差し込む。クレジットカードでもいいだろう。むろんキーボードは配線されているから、慎重に取り扱ってソケットを外し、新しいキーボードに交換する。

 あとは逆の手順で組みなおせばいい。作業時間は30分ほどか。
 修理などと言えないほど短時間だったが、組み上げたあとタッチパッド付近にわずかな振動を感じる。まだ異音を発するほどではないけど、この下には第2ファンが収納されている。
 ファンエラーがでるようになったら交換が必要になるのだが、部品価格を調べたらキーボードの倍もする。
 あるいは修理地獄に迷い込んだかもしれない。