巣立ち待ち

「どう? もう天井張れた?」
「いや、それがさ……」
「高いから、足場組むのが大変だったろう」
「なに、足場はもう組み上がっているし、大部分は張れたんだけど、残りはちょっと待ちなんだ」
「待ち? なにを待ってるの」
「巣立ち。鳥のね」
 というような会話を、ずっと以前にログハウスのセルフビルダーと交わしたことがある。よくある話なのだ。

 およそは山の中、森の中。ほとんど人は通らないし、町の喧噪もなければ大気汚染もない。ときおり聞こえるのは、吹き抜ける風にゆれる木の葉の音だけという場所に、わざわざ住もうという人間も酔狂なものだが、おかげで蛇や猛禽などの天敵も近づかない。子育てには絶好の環境だ。

 と野鳥たちは思うのだろう。建築中のログハウスに巣作りされて、仕方なく作業中止に追いこまれることがしばしばある。
 天井近くの梁や母屋に作ることが多いのだが、手製したクレーン塔のなかで小鳥がバタバタしている、と赤城山のビルダーから聞いたことがある。補強のために張った板に穴をあけて落ち込んでしまったのだ。

「キツツキさ。中が空洞だから、虫がいると間違えたんだろうね。仕方がないから板を外して逃がしてやったさ」


 デッキ屋根架けのため、丸太ポストの刻みをはじめた。まだデザインの全容は決まっていないが、既存デッキに差し込む部分なら先行製作できる。そうして何本か刻み終えた丸太の近くで、チチッと鳴き声が聞こえ、黄色いものが眼のすみを横切った。それで気がついた。
「あ、キセキレイ、まずいぞ」

セキレイK03 毎年のことだが、デッキ上の梁にキセキレイが巣作りをする。あちこち飛びまわって枯れ草やワラやらを集め、放牧場の柵に引っかかった山羊の毛をくわえたりして巣をつくる。
 卵を産み、抱卵し、孵化して巣立つまでひと月ほどもかかるだろうか。卵や雛を狙う蛇さえ気をつけていれば、別段、悪さをするわけではないので、そのまま見守ることになる。しかし去年の巣は、屋根を架ける梁に作られていたわけで、ことによれば作業延期ともなりかねない。


 さっそく点検したが、さいわい卵はなかった。巣は撤去して一件落着。

 そんなこんなで慌ただしく、配信予定のデジタル作業がまるですすまない。つい先日、ボイジャー社のRomancer「いろいろ情報」に紹介されたりしたので頑張りたいが、校正読みをしてもちっとも集中できないでいる。

竹の子掘り

川岸の竹林に竹の子が顔を出しているのをみつけた。例年だったら連休明けのころなのだが、すこし早い。やはり今年は暖冬だったようで、早速にも、裏山の竹林を点検せねばならない。

わが集落で採れる竹の子は、土質のせいか、気候が関係するのか、エグミがほとんどなく、とてもやわらかい。移住したての20数年前の頂戴もので、その美味しさにおどろいたものだが、現物を見てさらにびっくりした。

土間にごろんと転がった竹の子は、長さ50~60センチもあり、その先端には青々とした竹の葉まで生えている。皮をむいた中身も青みを帯びていて、ほとんど青竹状態。それを大釜で茹でただけで(アク取りの糠も使わずに)やわらかになる、というのだからちょっと信じられなかった。

ふつう竹の子掘りと言えば、地面のひび割れを見つけ、そこから顔を見せたか見せないかのころ、折らぬよう周囲を慎重に掘りすすめて採るものだ。ところが土地では、大きく成長させたあと、根元のあたりをバッサリ切ったり、あるいは蹴っ飛ばして折ったりする。「竹の子掘り」ならぬ「竹の子折り」だが、それでも十分美味しいのだから問題はない。

そうした美味しさを山に棲む彼らが放っておくわけがない。入れ替わり立ち替わりして竹の子掘りに精を出すようで、遅くに収穫する人間さまはそのおこぼれを頂く、といった案配になり、年によっては収穫ゼロにもなりかねない。

 

さて今年はどうか、と竹林に登ってみる。とんがり帽子があちらこちらに顔を出しているが、よく調べると、それと同数ほどの竹の子が食べられてしまっている。しかし、今年の出来はわるくない。暖冬のせいで育ちが早かったの幸いしているようだった。

P1240776大きくほじくり返しているのは、たぶん猪だろう。まだ土から顔を出していない竹の子を、するどい嗅覚で探りあて、鼻先で土を掘り起こすらしい。

 

 

 

P1240784一方、先端が囓り折られているのは猿の仕業だ。一番やわらかで甘みの強い先端部をひと囓りして、ポイと捨てるのが彼らのテーブールマナー。

 

 

 

つづいて人間さまの番だが、竹の子掘り用の鍬(ばち鍬)などは持ち合わせていないので、剣先スコップを利用して掘り起こす。やわらかそうなものを選び、根元のあたりに差し込んで、グイとこじればすぐ採れ、5,6本もあれば十分だ。

P1240825世間よりかなり遅い春の恵みだが、お定まりの竹の子ご飯、煮物、あるいは中華風にしたりと、独特の甘みと歯ごたえを連日のように楽しむ。今日のお昼には、炒めてラーメンの具として利用したが、そろそろ飽きてきた。冷凍できるとネットに書いてあるので、要研究か。

杉伐採

すっかり失念でした。二回にわけた「薪割り」の投稿、予告ではケヤキを囲炉裏では燃やさない、という事象について書く予定で、そのためすこし調べもしたが、けろりと忘れてしまった。驚いたことに都市部に多いケヤキ並木の落ち葉処理に、やっかいな問題が持ちあがっているらしい。しかし、これについては改めて書くということで、ご勘弁ねがいます。


ところで懸案だった杉2本を伐採した。県道からの入口付近に立っている樹齢50年ほどの杉は、冬の間、デッキや放牧場に大きな日陰をつくってひどく冷える。その度に「いっそ伐採するか」と考えていた。
しかし、伐り倒すには場所が狭すぎる。もちろん伐採用重機を頼んだり、大型クレーンで吊りながら伐採という方法もあるが、それを準備するだけで7~10万円の費用はどうしてもかかってしまう。
聞くところによると、樹高メートル×5,000円で伐採を請け負う業者があるようで、ここに依頼すると約15メートル×5,000円×2本で、
「え? 15万円? ご冗談でしょう」
と、つい大声が出てしまうような結果になる。

そうしたところに放牧場の柵が腐りはじめ、修理せねばならなくなった。そこで考えたのが、いっそ放牧場を狭くして伐採場所を確保する方法だった。
その一方でデッキに屋根をかける計画が前からあった。2×6防腐材を使用するデッキ床の張り替えは、4、5年後には必要になるはずだが、こちらは70歳超の年齢。映画「カサブランカ」のハンフリー・ボガートじゃないけれど、
「そんな先のことは考えられない」
今のうちに屋根を架けてしまえば20年間は大丈夫か、などとも考える。つまり「終活」の一部分というわけだ。

そこでまたまた考えた。まずデッキ屋根架けのため部分解体し、そこから出た防腐木材を放牧場の柵に転用する。広くなった放牧場にむけて杉を倒し、その杉を製材してデッキの建築材に使用する、といったケチケチ・サイクル。はたしてうまく機能するかは、結果をご覧じろ。屋根架け工事のすすみ具合とあわせて逐次ご報告することにしておこう。


そんなわけでデッキ部分解体、放牧場減築はすでにすませ、いよいよ杉伐採と相成った。が、さすがにこれには手が出せない。丸太はさんざん切ったり刻んだり、製材したりしたが、伐った経験、つまり立木伐採の経験はないのだ。
そこで隣家のプロ(立木伐採士)に半日のアルバイトをお願した。すでに引退しているが、そこはそれ経験豊富で、ピンポイントの方向に倒してくれる。
まず倒す方向に「受け口」を切り、反対側から「追い口」を入れ、「つる」と呼ぶ直径の4分1ほども切り残したあと、追い口に「くさび」をたたき込む、という手順だそうだが、今回はアームの長いバックフォーで押して倒す。このほうがずっと安全なのである。

P1240680一本目はほぼ完璧。ただし広げた放牧場の柵にあと1メートルほどと際どかった。斜めに成長していた2本目は、やや右にずれたが支障なく倒木。こちらはバックフォーを操作しただけだが、ひどく緊張。そのせいか写真がすくないので、奥さんのブログをリンクしておきます。

P1240712ちなみに切り株は抜根しない。そのため長めに伐り残し、椅子ふうに加工しておいた。買い物帰りにちょっと一休み、といったための用意で、これも「終活」のひとつと考えてもらっていい。

と書いてまた忘れるところだった。今月配信した「乱の裔」の紹介です。徳川家康が仕掛けた大坂城攻めに、足利幕府の末裔が大活躍する、痛快な長編戦国小説です。

乱の裔

薪割り(2)

「田舎暮らしをするについて、一番大切な作業とは……」
 と聞かれたら、そくざに「薪割り」と答えることにしている。じっさい日光で暮らした20数年間、小説を仕上げられなかった年は何度もあったけど、薪割りを欠かしたことは一度もない。
 冬の間、寒さに凍えて閉じこもり、たるみにたるんだ身体をチューンナップするには、年に一度の「薪割り」ほど性に合った作業はない。いや、なかった、と言い直すべきか。エンジン薪割り機の導入でかなり様相が変わったのだ。

 原木を玉切りし、斧で割り、軒下や薪置き場に積みあげる。こうした一連の作業で一番大変だったのは、やはり「薪割り」だったろう。全体の60%を占めるほどの作業量だったように感じる。しかし、薪割り機の導入でずいぶん楽になり、感覚的には半分ほどになった。
 たった半分か、と思われるむきもあろうが、なにしろ300㎏超の機械だけに移動するだけでも一苦労だし、エンジンやら何やらの手入れもあり、なにより玉切りした丸太を割り刃にセットしなくてはならない。
 わが家の薪割り機は縦置きになるため、丸太を転がしてセットできるが、横置き専用機となれば、10~20㎏はある丸太をいちいち台上に持ちあげることになる。これがひどく大変で、腕力のない私にはとても無理。薪割り機を導入されるさいには、この点も留意する必要があるだろう。

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 そうしたわけで薪割り機導入後の作業量は、玉切り、薪割り、積みあげ、それぞれ三分の一といった感じだ。そこから考えるに、一連の作業を「薪割り」とひとくくりに呼ぶのは適当ではなく、あるいは「薪づくり」とでも称すべきかもしれない。

 玉切りは、ひとえにチェーンソーの性能による。キャブレーターやエアフィルターの掃除を怠れば、エンジンを起動させるだけで一汗かいてしまう。むろん目立てがわるいと、切断に時間がかかるばかりか、事故を誘発することにもなりかねない。なにより日ごろの手入れが大切だ。

 つづいて積みあげ作業だが、これは見た目より重労働。まずは斜面に建っている母屋の軒下まで、割った薪を移動させねばならないが、そのため軽トラックが大活躍する。古びた4駆車で、しかも車検なしだから敷地内しか走れないが、この荷台に薪を放り込み、軒下まで運んでは、一本一本積みあげてゆく。

P1240656 割ったばかりの薪はかなり重く、一本2㎏ほどもある。この薪を1日に平均12本、1年に120日間燃やすと仮定すると、合計1440本。重さにして2880㎏(2.8トン)になり、これを一本ずつ手作業で移動させるわけだ。軽トラが入れないデッキの軒下には、いったん手押し車に移し替えて運ぶことになり、この積み替え作業がけっこう面倒かつ大変で、毎年のように腰を痛めてしまう。

 しかし、あんがい嫌いじゃない。こつこつ積みあげる作業は、小説の執筆に似たところがある。執筆の場合、読み返して削ることもあるが、薪の積み込みはそんなことはない。高々と積みあげた様子は、アインシュタインが言う「結果がすぐわかる」作業ということだろう。眺めるだけで気持がいい。
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 そうして積みあげた薪は、母屋をぐるりと一周。それでも足らずプラパレットを利用した薪置き場をつくり、ついには山羊小屋の軒下まで占領している。
 そのブロックごとに割った年を書いておき、古い順に燃やしている。かれこれ3、4年分は確保したろうか。これだけあればひとまず安心だ。すると、
「預金通帳の0が一桁増えるよりうれしいわ」
 とウチの奥さんがしみじみ言ったりする。

薪割り(1)

P1240599「薪割りは二度暖まる」
 と語ったのはソローだったか、カーネーギーだったか。薪を割れば身体が暖まり、ストーブで燃やしてまた暖まるというわけだ。それで料理すれば「三度暖かくなる」とするアメリカの諺(ことわざ)もある。

 薪を割って暖まるとなれば冬の話だろうし、冬支度のイメージとしてよく紹介されている。しかし、寒い最中に割った薪をそのまま焚くことは、わが家ではほとんどない。割ったばかりの薪は、よく燃えないし、煙が多くて煤がたまりやすい。タール分やクレオソートが付着して、煙突つまりの原因となり、掃除を怠れば煙道火災の危険すらある。

 枯れた冬に切りだした薪の原木は、春に割り、梅雨前には雨の当たらない軒下や薪小屋に積み上げておく。そうして次の冬になれば、まあまあ使える薪になるだろう。わが家ではもう1年間、よく乾かしてから焚くようにしている。
 薪にするのは広葉樹にかぎり、原木は大体購入しているが、たとえば今年のように「もらったり拾ったり」で入手することもあり、先日、一気に片づけてしまった。

 それにしても薪割りは大仕事だ。しかし、けっこう人気があり、これがために田舎暮らしを選んだ人がいるくらいだ。
「薪割りを好む人が多いのは理解できる。この仕事は結果がすぐわかる」
 アインシュタインがそう言ったそうだが、薪割りを単純な仕事と見ていることがみえみえで、あまり好きな言葉ではない。

 薪には割りどきや割り方があり、たぶんアインシュタインは「木元竹末」という言葉を知らないのだろう。木は元(根元)から、竹は末(梢)からのほうが割れやすい、という教えだが、なぜそうなるかを考えたとき、私にとっては「相対性理論」と同じほどにむずかしい。
 またストーブにあわせて玉切りしたあと、三日ほど経ってから割るほうがよい。切り口に小割れが走っているのは、乾燥して内部応力があらわれたからだと聞いたことがあり、割れにそって斧を入れてやれば、当然よく割れる。ただし、あまり乾かしすぎると、切り口が固くなって割れにくくなる。

 木の種類によっても割れ方がちがう。ナラやクヌギはよく割れ、クリは見かけは固そうだが、だらしがないほどスパッと割れてくれる。サクラやケヤキはかなり手こずることが多い。木の繊維が入り組んでいるからだが、森深くで育ったものはあんがい割れやすい。風のあたりが弱いせいだと聞いたことがある。成長の仕方も割れに関係してくるわけだ。

 もちろん道具にもよる。斧(おの。ヨキとも呼ばれる)が一番いい。刃先幅がひろい鉞(まさかり)は、するどい刃先が食い込むだけで薪は割れてくれない。伐採やはつり用の道具なのだろう。とにかく刃先が鈍角で重い斧がむいているが、重さがある分振りあげるのが大変、ということになる。

 振りあげた斧は一気に振り下ろす。そのさい小割れを正確に狙い、木目に刃の向きを一致させる。これを刃筋と言い、当たる瞬間に手の内を締めると、たとえ埋もれ節があっても刃筋は狂わない。というような体験を短編小説に書き、電子書籍でも配信したが、それはまったくの余談。


 そうした薪割りを20年間つづけたが、70歳近くなった数年前、とうとうエンジン薪割り機を購入した。オークションで手に入れたもので、格安な中国製だけに不具合が多く発生したが、曲がりなりにも使えている。動作は遅いが、27トンという強力なもので、節の部分でもむしるように割れてしまう。これで楽になったのは事実だが、「木元竹末」なんぞはまるで関係なくなった。

 つまりわが家の薪割りは、いまやアインシュタインがいうところの「結果」だけの作業と成り下がってしまっている。……つづく。

イモ、いも、芋。

 四月に入ってすぐ、ジャガイモを植え付けた。他の地方にくらべて遅れ気味のようだが、なにせ日光は春が遅い。せっかく萌芽したところを遅霜にやられて全滅したことが何度もあるので、気温の見きわめがとてもむずかしいのだ。
 じじつ一昨日には、マイナスまで気温が下がり霜が降りたし、そのまま暖かくならず今朝になっても薪ストーブを焚いているくらいだ。あせって早植え付けしていたら霜焼けに往生していたかもしれない。

 いま思い出したが、日光に移住したてのころ、発芽してしまったジャガイモを埋め込んだのが、初めての農作業だったような気がする。
 土をまっすぐ掘り返し、捨てる代わりに植えたようなもので、もちろん肥料なし、草取りなし、土寄せなどという知識もなかったが、小粒ながらもそれなりの収穫があったのだろう。たぶんポテトフライにしたはずだが、なかなか美味かった、と記憶している。

 それからはじめたジャガイモ栽培だが、種イモを購入したり、食べ残しを植え付けたりといろいろだし、別段変わった栽培方法もしていない。土壌のPH調整に薪ストーブの灰を利用していたが、震災いらい自家灰が仕えず、購入した貝殻石灰を使用し、30センチ間隔で種イモ、その間に肥料(鶏糞)をひとつかみ置いて覆土している。
 また黒マルチをかぶせることもあるが、発芽時期にマルチの穴開けが遅れ、ビニール熱で芽が焼けてしまった。そこで今年は稲わらマルチにした。当然、草取りをしなくてはならないが、ひょっとしたら猿害除けのため草ボウボウにしておくかもしれない。

 まだ観察中なのだが、どうやら猿どもに、畑の作物をばかりを狙っている気配がある。たとえばサツマイモは猿の大好物だが、ヤギ小屋の屋上緑化のため袋栽培したサツマイモは無事だったことがある。まさか屋根の上でイモが植え付けてあるなど思いもしなかったのだろう。
 また畑のはずれに捨てたジャガイモが発芽して、なおかつ見事に実ったのを目撃している。当然、整備された畑ほど収穫が多いわけだが、そのことを猿どもが学習したのかもしれない。だとするなら、ちゃんとした畑に整然と一列に栽培するのは、
「ここにイモがありますよ」
 と教えるようなものではないか、と植え付けながら思いついてしまった。そのための黒マルチ除外だったわけだ。
 ひょっとしたら草ボウボウにすれば、あるいは一列ではなくランダム植えにすれば、猿たちもよほど戸惑うのではないか、などとも思う。こうした叢生栽培もどきの猿害対策については、いずれお知らせすることがあるかもしれない。

 その点、里いもはいい。なぜか猿たちにまったく狙われないのだ。土地の人に聞いても、さあ、と首をひねるばかり。
「喰ったら口のまわりが痒くなるんでないかい?」
 ということになっていて各戸必ず栽培している。このあたりでは土垂れという品種が多いようだが、わが家では、「きぬかつぎ」にすると美味な石川早生を毎年つくっている。

 秋収穫したら親芋から外さず、そのまま地下室(または土の中)に保存しておき、春先バラバラにほぐしてポットに仮植え、日当たりのよい暖かな所に置いて「芽出し」をする。発芽するにはひと月以上かかり、芽が10センチほどになる6月ごろに本植えする。

 という準備作業の合間に「芋奉行青木昆陽」を配信しました。名奉行大岡越前守に見出され、甘藷(さつま芋)栽培に成功した青木文蔵が古書探索に出掛け、数々の難事件を解決する一話完結連作集です。

A5 芋奉行…

四月のリンゴ

 梅が咲き、桜が咲きだしていよいよ春めいてきた。そんな四月になった玄関でリンゴがいい匂いを放っている。
 わが家の玄関は、居間とはドアで隔てられて風除室の代わりとなっている。そのため室温が低く、野菜や果物を置いておくのにちょうどよいのだが、昨年末にいただいたリンゴ6,7個が置き放しになって匂っているのだ。

 何となく食べ損なったのだろう。もう傷んでるかもしれないな、と皮をむいてみるとそうでもない。すこしやわらかになっていて、さすがにリンゴ独特のパキッとした食感はのぞめそうにない。
 ならば捨てるか、というのはわが主義に猛然と反する。そうしたときアップルパイ風揚げ餃子につくってしまうのがわが家風、というよりわがケチケチ料理のひとつというわけだ。
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 リンゴの皮をむき、芯を取って刻む。そいつをバターで炒め、砂糖で味をつける。リンゴ一個あたり大さじ山盛り1の割合にしているが、いつものようにこれは適当。シナモンを入れれば、よりアップルパイ風味になるようだが、試したことはない。
 よく煮詰めて水分を飛ばしたものを餃子の皮で包み、そのまま素揚げする。中身は火が通っているので、皮が色よく、カリッと揚がればそれでよし。
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P1240388 アツアツが美味しいが、冷めてもけっこういける。春巻きバージョンを試してみたがこれもわるくない。テーブルの上の大皿に積み上げておくと、通りがかりにヒョイとつまんだりして、いつのまにかなくなっている。

 それにしても「四月のリンゴ」というフレーズ、ちょっと気に入った。
「関係なさそうな言葉を二つならべるといいタイトルになる」
 と昔から言われているけど、これにぴったり。いかにも時期遅れな感じから「六日の菖蒲、十日の菊」を思い出してしまうが、そうした役立たずというより、フニャフニャとした頼りなさを感じさせる。
 しかし、まあ、時代小説には無理だろうな、と思いながら揚げたてをつまみ食いして、舌を火傷した。

春の酢漬け

 春めいてくると「春告げ魚」を思い出す。魚偏に春と書く「鰆…さわら」も「春を告げる魚」だそうだが、どちらかと言えば西日本での話であって、東日本では「鰊…にしん」を「春告げ魚」と呼んでいる。
 いきなりの余談だが、じつはこの「鰊」をずっと魚偏に東とばかり思っていた。しかし「鯟」と書くと「とう」と読み、まったく別の魚のようで、中国大陸に見られる白い鯉のような魚らしい。手書きに縁遠くなってずいぶん経つが、漢字のど忘れや間違いはいよいよ深刻だ。

 私の記憶では「ニシン」と言えば「身欠きニシン」だった。カラカラに乾いた「本乾もの」を米のとぎ汁に一晩漬け込み、醤油、みりん、酒、生姜を入れてこってり炊きあげた甘露煮は、惣菜によし、酒の肴によし。私にとってソウルフードのひとつと言っていい。

P1220966 冷蔵輸送が当り前になった近ごろは、店頭に「生ニシン」を見かけるようになった。ほとんどは塩焼きか煮付けにするようだが、鮮度のよさそうなものを選んで酢漬けにしている。これがここ数年の春行事のようになっている。

「ニシンの酢漬け」は、オランダが有名だが、ドイツやポーランド、北欧などでも大いに食べられている。そんなレシピをどこかで見つけた私なりの「ニシンの酢漬け」だが、けっこう気に入っている一品だ。

●生ニシン…3匹。
 お店に頼んで三枚に下ろし、腹の小骨もそぎ落としてもらう。たいがいの魚は下手なりに捌いてしまうが、にしんなど身がやわらかなものは苦手で、腹骨を落とすとなると、身肉がなくなってしまう。

にしん酢漬け003①塩をやや強めに振り、バットにならべて冷凍24時間。
 せっかくの「生ニシン」だが、アニサキス予防のため冷凍する。イカ、サバ、ニシンなどに寄生するアニサキスは、塩や酢で締めても死なず、胃壁に入り込むと七転八倒の激痛を起こすらしい。死に至ることはないようだが、2,3日でアニサキスが衰弱死するのを待たねばならない。
 ニシン王国オランダでは、マイナス20℃で24時間冷凍することが法律で義務づけられていると聞き、ならばと冷凍ニシンを使ってみたことがある。安価のうえ安心なら言うことなしだが、食味がもうひとつ感心しなかった。

②酢洗い・皮むき・そぎ切り。
 分量外の酢で塩と残ったウロコを洗い落とし、半解凍になったら皮をむく。身の柔らかいニシンでも塩と酢で締まっているから大丈夫。頭のほうの皮をつまんで一気にむいてしまう。あとはひと口大にそぎ切りにするが、中骨が気になるようなら毛抜きで抜く。

③漬け汁…以下を入れて混ぜておく。
オリーブオイル…1カップ。酢…4分の3カップ。黒コショウ粒…6、7粒。 塩・粗挽きコショウ…適宜 。粒マスタード…小さじ1。

④玉ねぎ1個分のスライスをつくり、保存ビンにニシンと交互に詰め、最後に漬け汁を注ぎ込む。好みでレモンスライス、白ワイン、砂糖、ディルその他を入れてもよい。

P1240328 冷蔵庫で一日おけば食べられ、よく漬け込んでも美味。玉ねぎやニンニクのみじん切りを添えてもよいが、味の決め手は酢にあるので、いろいろ試してみるといい。ちなみにわが家ではこれ

P1240383付言…ニシンを捌いてもらったら白子ががついてきた。もったいないのでアヒージョ(ニンニク、唐辛子入りのオリーブオイル煮)にしてみたが、やや臭みがあり、味も好みではなかった。要研究か。

もらったり拾ったり

P1240173 田舎に移住して以来、なにごとにつけて「もらったり拾ったり」を実践している。別段、自給を目ざしているわけではないが、金を出して買うなどというのは、最後の最後、どうしても入手不可能と判断したときの選択、ということになる。とくに自宅をセルフビルドするようになって、この傾向がより強くなった感じがあり、ほとんど病気ではないかと思うことさえある。

 しかし私だけではないようだ。ログハウスをセルフビルドする仲間に聞いてみると、例外なく「もちろん」とうなずくわけで、言ってみれば金科玉条ものであろう。たとえば「これ買ってみたんだ」と言っても、およそは「ふーん」といった鈍い反応しか返ってこない。ところが、
「いや、じつは拾ったものなのだ」
「へえー、どこで? もう一つなかった?」
「さあ、どうかな。ほかの人が拾ったみたいだが……」
「その人からもらえないかな。ねえねえ、紹介してよ」
 といった感じに話がはずむ。いや、もう、手のひらを返したような執心ぶりだ。

 そう言えば「もったいない」運動が話題になったことがある。ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性のワンガリ・マータイさんが来日したさいに知った「もったいない」という言葉には、3RつまりReduce(削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)にプラスしてRespect(尊敬の念)が込められている、と深く感銘をうけて始めた運動らしい。

「もらったり拾ったり」も似たような倹約精神から発しているが、少なくとも私の場合は、確たる思想や信念から生まれたものではない。ひたすら倹約したい一念で、どちらかと言えばケチに近いだろう。「もらったり拾ったり」して造ったはいいが、まるで役立たなかったり、さらなる加工のため新たな道具を購入、といった事態が度々ある。結果、最初から買ったほうが安かったりするわけだが、それでも満足なのだから世話はない。

 トップ写真の椅子もそうした一つだ。原型は餅つきに使う臼(うす)で、わが家正面の川岸に捨ててあったものだ。なにやら加工途中の痕跡があるところをみると、欅(けやき)のあまりの固さに断念したものらしく、ならばと拾ってきて椅子に加工してみた。
 ストーブ前に置くつもりだったが、なにせ固い材質なので座り心地がわるく、お尻が冷たい。さらには重いのも欠点で、どうにも使いにくかった。それなりに存在感はあるのだが、およそは役立たずとなって、とうとう単なる場所塞ぎとなってしまっている。

 ところで年明け早々、その川岸から拾いものをした。去年秋の集中豪雨のさい、田圃近くの川岸が崩れて立木が何本か倒れかかった。田圃の持ち主が伐採すると知って、すかさず駆けつけると、枝片付けを条件に「もらったり拾ったり」交渉をはじめた。
 おそらく実生の欅なのであろう。太さは30センチほどとすこし細いし、加えて水辺育ちだけに建材にはならない。軟らかいうえに乾燥に時間がかかるからだが、もっとも最近は、欅のように暴れやすくて扱い難い材木は大工さんに人気がないらしい。こっちは薪にするつもりだからそれは関係ないわけだが、
「薪にする? 欅だよ」
 といぶかしげな顔をされた。

 ご近所でも薪をつかう家はあるが、欅はあまりよろこばれない。すくなくとも囲炉裏ではまず焚かない。煙の刺激が強すぎて目によくないらしいのだが、ここではあえて書かないでおく。いずれ薪割りを話題にするときにでもくわしく書き触れてみたい。
 ともあれ煙を完全排出する薪ストーブではまったく問題ないわけで、そんなこんなで薪の原木集めの「もらったり拾ったり」交渉はめでたく成功した。しかしながら枝片付けやら、玉切りしたうえでわが家まで運びこむのに四日ほどかけたから、やはり買ったほうが安かったね、と言われてしまうと反論できない。