伊曽保物語

 イソップ物語をあらためて調べたとき「ほう、そうだったのか」とひどく驚いた記憶がある。今月に電子配信した『本多の狐』やその続編『竜の見た夢』を書いたころの話だ。『天草本伊曽保物語』と呼ばれる資料が、吉利支丹信徒に読まれた「イソップ物語」の翻訳ものと知って興味をおぼえ、急いで神保町の古書店で購入した。

 イソップ物語が古代ギリシャの寓話集だとは、すでに知っていた。成立したのは紀元前600年ごろで、作者とされるギリシャ人アイソポスは、エーゲ海に浮かぶサモス島の奴隷だったといい、イソップはその英語表記。寓話集として集成されたのは、起源前300年ごろとされていると知っても、さほど意外とは思わなかった。
 しかし、わが国に紹介されれたのは明治に入ってから、とばかり思っていたから、はるか昔の戦国時代のころと書いてあるのは意外だったし、さらには活字によって印刷されたと知るのは驚き以外のなにものでもなかった。

本二冊 古書店で手にした『天草本伊曽保物語などのこと』は、文学博士島正三編とある130ページほどの薄い冊子で、いわゆる影印本(原本を写真製版した本)であり、すべて欧文で書かれていた。「こいつは読めんぞ。弱ったな」 と思ったが、たとえ片言でも理解してみたいと思った。
「これは何語かね」
 と一応、店主に聞いてみたが、さあ、と首をひねられてしまった。
「しかし、天草本とあるからにはポルトガル語ではありませんかね」
「あ、なるほど」
 さすが本の専門家だ。すかさず門前の小僧ぶり(失礼)を発揮、さらに加えて商人としての本領もわすれない。
「ポルトガル語なら日葡辞書が置いてあります」
 なるほど、とまたしてもうなずいてエエイッとばかり、大枚はたいて2冊あわせて買うことにした。私の単行本なら20冊ほども買える金額だった。

イソホ物語 しかしポルトガル語ではなかった。いや、部分的には使われていたが、多くはローマ字表記である、といろいろ調べてわかった。ただしポルトガル式ローマ字というやつだった。
 現在使われているローマ字表記は、英語の発音にもとづいたヘボン式ローマ字か、それを改良した日本式ローマ字。江戸時代には蘭学者などによってオランダ式ローマ字が使われ、はたまた戦国時代に来日したイエズス会宣教師は、ポルトガル語に準じたローマ字で日本語を表記したのだ。
 
 原本の表紙らしき影印に「ESOPONO」とある。ローマ字であるなら「エソホノ」と読める。あるいは『伊曽保…イソホ』つまりイソップのギリシャ語読み「アイソポス」か、と見当をつける。
 しかし、つづく「FABVLAS」が読めない。試しに開いてみた『日葡辞書』は、日本の話し言葉をローマ字表記したものでまるで役立たない。いろいろ考えたあげくポルトガル語か、と思い当たって『葡日辞典』を引く。これが見事にビンゴだったわけで「FABVLAS→寓話」とわかる。つまり『イソホノ寓話』……か。
 そうした苦労も昔の話。現在ならGoogle翻訳でポルトガル語を指定すれば、たちどころにわかる仕組みなのだから、なんだか気が抜けてしまう。

 あとはポルトガル式ローマ字の手引きを参考に読み下すわけで、たった数行の翻訳に何やら苦労させられる。このあたりに独学者の限界があるのだが、そのぶん喜びは大きい。すると読んだにちがいない吉利支丹信徒たちの喜びようが眼に浮かび、さらには李朝活字の資料とたちまち結びついてしまうところが小説書きの特権かもしれず、四〇〇字詰め千枚を超える2冊の物語を書くきっかけになるのだから、苦労なんぞはすぐに忘れてしまうのだ。
翻訳文