薪割り(2)

「田舎暮らしをするについて、一番大切な作業とは……」
 と聞かれたら、そくざに「薪割り」と答えることにしている。じっさい日光で暮らした20数年間、小説を仕上げられなかった年は何度もあったけど、薪割りを欠かしたことは一度もない。
 冬の間、寒さに凍えて閉じこもり、たるみにたるんだ身体をチューンナップするには、年に一度の「薪割り」ほど性に合った作業はない。いや、なかった、と言い直すべきか。エンジン薪割り機の導入でかなり様相が変わったのだ。

 原木を玉切りし、斧で割り、軒下や薪置き場に積みあげる。こうした一連の作業で一番大変だったのは、やはり「薪割り」だったろう。全体の60%を占めるほどの作業量だったように感じる。しかし、薪割り機の導入でずいぶん楽になり、感覚的には半分ほどになった。
 たった半分か、と思われるむきもあろうが、なにしろ300㎏超の機械だけに移動するだけでも一苦労だし、エンジンやら何やらの手入れもあり、なにより玉切りした丸太を割り刃にセットしなくてはならない。
 わが家の薪割り機は縦置きになるため、丸太を転がしてセットできるが、横置き専用機となれば、10~20㎏はある丸太をいちいち台上に持ちあげることになる。これがひどく大変で、腕力のない私にはとても無理。薪割り機を導入されるさいには、この点も留意する必要があるだろう。

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 そうしたわけで薪割り機導入後の作業量は、玉切り、薪割り、積みあげ、それぞれ三分の一といった感じだ。そこから考えるに、一連の作業を「薪割り」とひとくくりに呼ぶのは適当ではなく、あるいは「薪づくり」とでも称すべきかもしれない。

 玉切りは、ひとえにチェーンソーの性能による。キャブレーターやエアフィルターの掃除を怠れば、エンジンを起動させるだけで一汗かいてしまう。むろん目立てがわるいと、切断に時間がかかるばかりか、事故を誘発することにもなりかねない。なにより日ごろの手入れが大切だ。

 つづいて積みあげ作業だが、これは見た目より重労働。まずは斜面に建っている母屋の軒下まで、割った薪を移動させねばならないが、そのため軽トラックが大活躍する。古びた4駆車で、しかも車検なしだから敷地内しか走れないが、この荷台に薪を放り込み、軒下まで運んでは、一本一本積みあげてゆく。

P1240656 割ったばかりの薪はかなり重く、一本2㎏ほどもある。この薪を1日に平均12本、1年に120日間燃やすと仮定すると、合計1440本。重さにして2880㎏(2.8トン)になり、これを一本ずつ手作業で移動させるわけだ。軽トラが入れないデッキの軒下には、いったん手押し車に移し替えて運ぶことになり、この積み替え作業がけっこう面倒かつ大変で、毎年のように腰を痛めてしまう。

 しかし、あんがい嫌いじゃない。こつこつ積みあげる作業は、小説の執筆に似たところがある。執筆の場合、読み返して削ることもあるが、薪の積み込みはそんなことはない。高々と積みあげた様子は、アインシュタインが言う「結果がすぐわかる」作業ということだろう。眺めるだけで気持がいい。
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 そうして積みあげた薪は、母屋をぐるりと一周。それでも足らずプラパレットを利用した薪置き場をつくり、ついには山羊小屋の軒下まで占領している。
 そのブロックごとに割った年を書いておき、古い順に燃やしている。かれこれ3、4年分は確保したろうか。これだけあればひとまず安心だ。すると、
「預金通帳の0が一桁増えるよりうれしいわ」
 とウチの奥さんがしみじみ言ったりする。

薪割り(1)

P1240599「薪割りは二度暖まる」
 と語ったのはソローだったか、カーネーギーだったか。薪を割れば身体が暖まり、ストーブで燃やしてまた暖まるというわけだ。それで料理すれば「三度暖かくなる」とするアメリカの諺(ことわざ)もある。

 薪を割って暖まるとなれば冬の話だろうし、冬支度のイメージとしてよく紹介されている。しかし、寒い最中に割った薪をそのまま焚くことは、わが家ではほとんどない。割ったばかりの薪は、よく燃えないし、煙が多くて煤がたまりやすい。タール分やクレオソートが付着して、煙突つまりの原因となり、掃除を怠れば煙道火災の危険すらある。

 枯れた冬に切りだした薪の原木は、春に割り、梅雨前には雨の当たらない軒下や薪小屋に積み上げておく。そうして次の冬になれば、まあまあ使える薪になるだろう。わが家ではもう1年間、よく乾かしてから焚くようにしている。
 薪にするのは広葉樹にかぎり、原木は大体購入しているが、たとえば今年のように「もらったり拾ったり」で入手することもあり、先日、一気に片づけてしまった。

 それにしても薪割りは大仕事だ。しかし、けっこう人気があり、これがために田舎暮らしを選んだ人がいるくらいだ。
「薪割りを好む人が多いのは理解できる。この仕事は結果がすぐわかる」
 アインシュタインがそう言ったそうだが、薪割りを単純な仕事と見ていることがみえみえで、あまり好きな言葉ではない。

 薪には割りどきや割り方があり、たぶんアインシュタインは「木元竹末」という言葉を知らないのだろう。木は元(根元)から、竹は末(梢)からのほうが割れやすい、という教えだが、なぜそうなるかを考えたとき、私にとっては「相対性理論」と同じほどにむずかしい。
 またストーブにあわせて玉切りしたあと、三日ほど経ってから割るほうがよい。切り口に小割れが走っているのは、乾燥して内部応力があらわれたからだと聞いたことがあり、割れにそって斧を入れてやれば、当然よく割れる。ただし、あまり乾かしすぎると、切り口が固くなって割れにくくなる。

 木の種類によっても割れ方がちがう。ナラやクヌギはよく割れ、クリは見かけは固そうだが、だらしがないほどスパッと割れてくれる。サクラやケヤキはかなり手こずることが多い。木の繊維が入り組んでいるからだが、森深くで育ったものはあんがい割れやすい。風のあたりが弱いせいだと聞いたことがある。成長の仕方も割れに関係してくるわけだ。

 もちろん道具にもよる。斧(おの。ヨキとも呼ばれる)が一番いい。刃先幅がひろい鉞(まさかり)は、するどい刃先が食い込むだけで薪は割れてくれない。伐採やはつり用の道具なのだろう。とにかく刃先が鈍角で重い斧がむいているが、重さがある分振りあげるのが大変、ということになる。

 振りあげた斧は一気に振り下ろす。そのさい小割れを正確に狙い、木目に刃の向きを一致させる。これを刃筋と言い、当たる瞬間に手の内を締めると、たとえ埋もれ節があっても刃筋は狂わない。というような体験を短編小説に書き、電子書籍でも配信したが、それはまったくの余談。


 そうした薪割りを20年間つづけたが、70歳近くなった数年前、とうとうエンジン薪割り機を購入した。オークションで手に入れたもので、格安な中国製だけに不具合が多く発生したが、曲がりなりにも使えている。動作は遅いが、27トンという強力なもので、節の部分でもむしるように割れてしまう。これで楽になったのは事実だが、「木元竹末」なんぞはまるで関係なくなった。

 つまりわが家の薪割りは、いまやアインシュタインがいうところの「結果」だけの作業と成り下がってしまっている。……つづく。

イモ、いも、芋。

四月に入ってすぐ、ジャガイモを植え付けた。他の地方にくらべて遅れ気味のようだが、なにせ日光は春が遅い。せっかく萌芽したところを遅霜にやられて全滅したことが何度もあるので、気温の見きわめがとてもむずかしいのだ。
じじつ一昨日には、マイナスまで気温が下がり霜が降りたし、そのまま暖かくならず今朝になっても薪ストーブを焚いているくらいだ。あせって早植え付けしていたら霜焼けに往生していたかもしれない。

いま思い出したが、日光に移住したてのころ、発芽してしまったジャガイモを埋め込んだのが、初めての農作業だったような気がする。
土をまっすぐ掘り返し、捨てる代わりに植えたようなもので、もちろん肥料なし、草取りなし、土寄せなどという知識もなかったが、小粒ながらもそれなりの収穫があったのだろう。たぶんポテトフライにしたはずだが、なかなか美味かった、と記憶している。

それからはじめたジャガイモ栽培だが、種イモを購入したり、食べ残しを植え付けたりといろいろだし、別段変わった栽培方法もしていない。土壌のPH調整に薪ストーブの灰を利用していたが、震災いらい自家灰が仕えず、購入した貝殻石灰を使用し、30センチ間隔で種イモ、その間に肥料(鶏糞)をひとつかみ置いて覆土している。
また黒マルチをかぶせることもあるが、発芽時期にマルチの穴開けが遅れ、ビニール熱で芽が焼けてしまった。そこで今年は稲わらマルチにした。当然、草取りをしなくてはならないが、ひょっとしたら猿害除けのため草ボウボウにしておくかもしれない。

まだ観察中なのだが、どうやら猿どもに、畑の作物をばかりを狙っている気配がある。たとえばサツマイモは猿の大好物だが、ヤギ小屋の屋上緑化のため袋栽培したサツマイモは無事だったことがある。まさか屋根の上でイモが植え付けてあるなど思いもしなかったのだろう。
また畑のはずれに捨てたジャガイモが発芽して、なおかつ見事に実ったのを目撃している。当然、整備された畑ほど収穫が多いわけだが、そのことを猿どもが学習したのかもしれない。だとするなら、ちゃんとした畑に整然と一列に栽培するのは、
「ここにイモがありますよ」
と教えるようなものではないか、と植え付けながら思いついてしまった。そのための黒マルチ除外だったわけだ。
ひょっとしたら草ボウボウにすれば、あるいは一列ではなくランダム植えにすれば、猿たちもよほど戸惑うのではないか、などとも思う。こうした叢生栽培もどきの猿害対策については、いずれお知らせすることがあるかもしれない。

その点、里いもはいい。なぜか猿たちにまったく狙われないのだ。土地の人に聞いても、さあ、と首をひねるばかり。
「喰ったら口のまわりが痒くなるんでないかい?」
ということになっていて各戸必ず栽培している。このあたりでは土垂れという品種が多いようだが、わが家では、「きぬかつぎ」にすると美味な石川早生を毎年つくっている。

秋収穫したら親芋から外さず、そのまま地下室(または土の中)に保存しておき、春先バラバラにほぐしてポットに仮植え、日当たりのよい暖かな所に置いて「芽出し」をする。発芽するにはひと月以上かかり、芽が10センチほどになる6月ごろに本植えする。

という準備作業の合間に「芋奉行青木昆陽」を配信しました。名奉行大岡越前守に見出され、甘藷(さつま芋)栽培に成功した青木文蔵が古書探索に出掛け、数々の難事件を解決する一話完結連作集です。

四月のリンゴ

 梅が咲き、桜が咲きだしていよいよ春めいてきた。そんな四月になった玄関でリンゴがいい匂いを放っている。
 わが家の玄関は、居間とはドアで隔てられて風除室の代わりとなっている。そのため室温が低く、野菜や果物を置いておくのにちょうどよいのだが、昨年末にいただいたリンゴ6,7個が置き放しになって匂っているのだ。

 何となく食べ損なったのだろう。もう傷んでるかもしれないな、と皮をむいてみるとそうでもない。すこしやわらかになっていて、さすがにリンゴ独特のパキッとした食感はのぞめそうにない。
 ならば捨てるか、というのはわが主義に猛然と反する。そうしたときアップルパイ風揚げ餃子につくってしまうのがわが家風、というよりわがケチケチ料理のひとつというわけだ。
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 リンゴの皮をむき、芯を取って刻む。そいつをバターで炒め、砂糖で味をつける。リンゴ一個あたり大さじ山盛り1の割合にしているが、いつものようにこれは適当。シナモンを入れれば、よりアップルパイ風味になるようだが、試したことはない。
 よく煮詰めて水分を飛ばしたものを餃子の皮で包み、そのまま素揚げする。中身は火が通っているので、皮が色よく、カリッと揚がればそれでよし。
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P1240388 アツアツが美味しいが、冷めてもけっこういける。春巻きバージョンを試してみたがこれもわるくない。テーブルの上の大皿に積み上げておくと、通りがかりにヒョイとつまんだりして、いつのまにかなくなっている。

 それにしても「四月のリンゴ」というフレーズ、ちょっと気に入った。
「関係なさそうな言葉を二つならべるといいタイトルになる」
 と昔から言われているけど、これにぴったり。いかにも時期遅れな感じから「六日の菖蒲、十日の菊」を思い出してしまうが、そうした役立たずというより、フニャフニャとした頼りなさを感じさせる。
 しかし、まあ、時代小説には無理だろうな、と思いながら揚げたてをつまみ食いして、舌を火傷した。

タイトル買い

「やりたいことしかやらない」
 と決めて田舎に移住した話は、あちこちで書き、このサイトでも書いたことがある。
「やりたいことだけやっていたら生活できません」
 と他人には、不評サクサクのひと言だが、同じようなタイトルを見かけて、思わずクリックしてしまった、という古本買いの話だ。

 電子書籍を配信しているからには、一度は読んでおくべきだろうと思い立ち、この分野にくわしい津野海太郎氏の本を探していたとき、こんなタイトルが眼を惹いた。
『したくないことはしない』 …植草甚一の青春…
 ほうほう、そうなのか。それにしても懐かしいな、と思ったのだ。

P1240321 植草甚一氏のことはもちろん知っていた。カメラマンになりたての1960年代の半ばころか、ある分野の若者のあいだで、絶大な人気を誇っていたのを思い出す。

「百年前に生まれた、日本一POPな男。外国に行ったこともないのにニューヨーカーみたいで、貧乏なのにお洒落、若者を夢中にさせた老人――」

 と同書の帯に書かれた通りの人物で、身長150センチほどの小柄な身体を、ジーンズとTシャツ、派手な帽子とアクセサリーに飾り立て、古本屋めぐりを毎日の日課とし、かたわら若者たちの活動に興味をしめして、かれらから「教祖」のようにあがめられている。そんな様子を雑誌などで何度も眼にした。

 日本橋小網町生まれの同氏は、神田川沿いに育った私にはなんとなく近しく思えたものだが、その一方で〝ジャズ評論家〟としての植草甚一氏は、音楽的素質のまるでないに私にとっては、ほとんど接点のない人物だった。
 さらに加えて、そのころには田舎志向が芽生えていたこともあったせいか、やたらファンキーな身装をして、ひょこひょこと盛り場散歩を楽しんでいる植草氏の様子は、
「なんだかな、ちょっと違うんじゃないの」
 といくぶんか冷めた眼で眺めていたようにも思う。

 それでも津野氏が書くところの植草甚一評は、なかなかに刺激的だ。目立ちたがり屋だが、非常な勉強家でもあることにくり返し書き触れたほか、たとえばその人気ぶりを確かめるため、大谷壮一文庫の雑誌記事索引でしらべたところ、95本の関連記事があり、なかでも一番早いのが『日本読書新聞』1961年4月3日のコラムで、筆者は丸谷才一……。
 これにはびっくりした、と津野氏も書いているが、まったく同感。

「植草甚一の本質は何か? 小説の読者だ。……菅原孝標の女(すがわらのたかすえのむすめ)にはじまる系譜の輝かしい末裔は、東京中の本屋を毎日のように歩きまわる、この小柄な男なのである」

P1240318-A 丸谷氏のコラムにはそんなふうに書いてあるそうで、希代の物語読みの末裔とたたえられた植草氏がどんな本を読んだかにも興味がわいてきたので、そのような本もあわせて読んでみた。
 その結果、読書傾向はまるでちがう。それはある種当然なことであって、毎日古本を12、3冊も買い込む植草氏が、
「古本屋あるきが好きになったのも、原因はケチだったから」
 と言っているくだりには、思わずうなずいてしまった。

P1240322 そうしたわけで「やりたいことしかやらない」と決めた男が、「したくないことはしない」人物伝を暇をみて読んでいる。この図式ちょっと面白いが、同じように聞こえる言葉を、生き様の信念とみるか、単なるわがままとみるかとなると、そうそう簡単に結論を出せないし、私としては出したくない問題だ。

懐かしや古典技法

 カメラマンの修業時代に、デザイナー志望の仲間と「レコードジャケット」づくりに熱中したことがある。ただし仕事ではなく売り込み用のサンプルであって、あれやこれや工夫してつくりあげると、わずかなコネを頼りにレコード会社に持込んだりしたが、ついに一枚も採用されなかった。
 ビートルズがデビューした1960年代というのだから、やたら古い話なのだが、それを思い出しながら、いま電子書籍の「表紙」をつくるのは、すこしばかり懐かしく刺激的な作業なのだ。

 本というのは、とくに小説というものは、読んでみて面白かったから買うものではなく、面白そうだから買ってみるか、と思ってもらうものだ。そこで書き出しに苦労するのだが、「表紙」も同じような役目を持っているわけで、いわゆる「ジャケ買い」があるのだから、当然、「表紙買い」もあるだろうと期待しつつ作業している。

 私の「表紙」づくりはすべて写真を使い、選んだショットにタイトル文字を入れるだけだが、それだけに写真の選定には気をつかう。カメラマン時代のストック写真をスキャンして使ったりもするが、そうそうぴったりなショットばかりというわけにはいかず、新たに撮影することが多くなっているし、ときには合成したりもする。
 青色を強調した画面に蛍を飛ばそうと考えたときは、コピー機の節電ボタンの色合いがちょうどよく、わざわざピントをぼかして撮影した画面をフリーソフトのGINP2で合成(かなり苦労)してこんな画面にした。

 先日配信した「本多の狐」でも合成画面にするつもりだった。三ツ葉葵の写真を用意したり、狐の木割り人形を撮影したり、といった作業をパソコン前で進めているとき、ふとはるか昔の撮影技法を思い起こしたのだ。

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P1240222  映画撮影にスクリーン・プロセスという合成技法がある。俳優が必死に逃げる。その背後からライオンが「ガオー」と飛びかかる、などというシーンは、ほとんどスクリーン・プロセスが使われていた。自動車や客車のシーンで背景を動かしたりとかなり便利に使われ、スチール写真でも小物撮影などに利用したものだが、CGの時代となってすっかり忘れ去られた。

 強烈な映写装置と反射効率のよいスクリーンを必要とし、その手前で演じる俳優などへの照明がむずかしい技法だったが、スクリーンの代わりに液晶モニターを使えばじつに簡単。試したことはないが、4Kモニターならさらに鮮明になるだろうと期待できる。ひどく古典的な技法だが、フリー画像を利用すれば背景は自由自在。あんがい使えるかもしれない、と思った。

A4  黎明の風 合成技法はかように便利なものだが、じつをいうと私はあまり好まない。ついつい説明的かつ装飾過多になりやすいからで、「本多の狐」と続編「竜の見た夢」と2作つづけたあとの「黎明の風」では、一転して墨絵のような写真を選んだりしている。みなさんはどちらがお好みだろうか。

やぎ糞堆肥

 あるいは時期遅れなのかもしれないが、わが家の堆肥づくりは、毎年、春にさきがけた仕事として行なっている。やぎ放牧場に立っているケヤキの落ち葉と、二匹のやぎ糞を利用した堆肥で、毎年の畑仕事に利用しているのだ。


 セルフビルドしたころには直径15センチほどしかなかったケヤキだが、20数年も経つとかなり大きくなり、わが家のシンボルツリーとしての存在感を十分発揮している。そのぶん落ち葉も大量になっているわけで、毎年の落ち葉掃きのころになると、ついつい梢を見あげてため息がでる。
「いっそ伐採して薪にするか」
 とつぶやいたりするのは、年々、身体にこたえる作業になっているからだろう。軽トラック二台分ほどもかき集め、やぎ小屋近くに積み上げておき、雨ざらしのまま冬を越す。

 本来なら、積み上げたところに水を十分そそいで「踏み込み」をすると、早く腐葉土になるらしいが、急ぐ必要もないのでそこは省略。
 冬の間に貯まりにたまったやぎ糞と落ち葉に、発酵促進剤のコーランに米糠を混ぜたものを交互に積んでゆく。コーラン1に米糠5倍との割合らしいが、このあたりも適当。
 初めのころは、やぎ糞、落ち葉、コーランだけて積み上げていたが、3年ほど前から少量(やぎ糞の三分の一ほど)の土を加えている。土にふくまれている土壌菌も利用する方法らしく、このほうがよく発酵するようだ。

 またビニールで覆ったほうが発酵がすすむようで、50~60℃の温度に達したら切り返しをして空気にふれさせるのだが、それも適当。温度は測らないほうが多く、夏までに2~3度気がむいたら行なっている。そのさい過リン酸石灰を加えよ、と書いた資料もあったが、余計なような気がして使ったこともない。

 こんな調子のほとんど適当仕様の堆肥づくりだが、秋をむかえるころには、ほとんどの落ち葉は原型をとどめていない。つまりは腐葉土化したのだろうと、これまた適当に判断して、その年のニンニク植え込みから肥料として使用している。
 まったりと寝そべっているやぎを見れば、紛うことなくニンニク体型。そのせいか、わが家のニンニクは味も量もなかなかの出来で、かなり料理に使うほうだが、ほとんど買うことなく収穫をむかえることが多い。
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ストーブの灰

P1240520 わが家の薪ストーブは「みにくいアヒルの子」(Ugly Duckling)と呼ばれているデンマークのSCAN社製だ。奧に長いシガータイプで、やや見栄えがしないための愛称だろうか。8kwと小型ながら燃焼効率がよく、43センチもの長い薪が使えるため、頻繁に薪を入れずにすむのが気に入っている。
 わが家をセルフビルドした1994年の導入だから、かれこれ22年間も使用したことになるが、まったくの故障なしで、よくぞ働いたとほめてやりたい。とくに5年前の「3.11」での大活躍ぶりはいまでも思い出すが、今日はその話題ではない。

 震災以後、いまだにつづくやっかいな問題がある。原発事故による放射線物質は、関東一円にあまねく降りそそいで汚染したが、絶対安全とされた原発事故の原因や責任を、ここで問うつもりはないし、その資格もない。
 資格はないが、地図上の区分けなど関係なく降り注いだであろう汚染の対策が、なぜか市町村ごとに区分けされているのには唖然とする。科学的に汚染濃度を測ることなく(測っているのかもしれないが)平然として市町村区分けを押し通している。細かな設定の手間を惜しんだのだろうが、その結果、たった数十メートル違いで除染対策や賠償に差が出てしまう。それでよしとする感覚が信じられず、その能天気ぶりが津波を甘くみて事故を誘発したのだ。

P1240521-01P1240463 太陽の光のように降りそそいだ放射線は、森林を汚染し、薪となってわが家の「みにくいアヒルの子」で燃やされている。セシウムなどの放射線物質は、燃やしても消滅せず、そのほとんどが灰の中に残される。燃えた薪が体積を減らしたぶん、濃縮されると考えればわかりやすいか。その濃縮率は200倍を超えると言われている。
 現在、8000Bq/kg(ベクレル/kg)以上の汚染物質は、公的機関が回収することになっているし、林野庁は流通する薪の放射線量を40Bq/kg以下と指定した。燃やしたとき200倍に濃縮されるからであろう。

 しかし放射線量を表示して売られている薪など見たことがなく、ほとんど野放し状態。わが家でも測定せずに燃やしているが、灰はすべて市に回収してもらい、三年前から放射線測定をすることにしていた。
 農林水産省では、肥料用草木灰の放射線セシウム濃度を400 Bq/kg以下と決めており、ストーブの灰を肥料利用できるか判断するためで、近くのクリーンセンターに持込めば「簡易ながら測定してくれる」と日光市役所で教わったからだ。

2014年……6876Bq/kg。
2015年……6506Bq/kg。

P1240527 という結果がわかる写真を掲載しておくが、去年、ほとんどメモとしか見えない紙切れをわたされたときには、
「おいおい、冗談かよ」
 とムッとした記憶がある。どうやら汚染を心配する市民の気持など、まるで汲み取っていないようで、汚染対策の能天気ぶりと一脈通じる、自治体のゆるゆる精神を垣間見た気がした。

 そこは我慢して今年もクリーンセンターに測定を依頼した。一応受取ったあと上司と相談したようで、測定は出来ない、と断られてしまった。
「当所での測定は、あくまで簡易であり、その値が一人歩きするのは困る」
 というのが理由だった。これにはまたまたびっくりだが、どうやら震災5年目なので測定結果をブログに掲載する、と前もって断ったのがいけなかったらしい。
 一年目二年目、そして今年と、市民対応のあきらかな変化があり、それは劣化というほかはないもので、ゆるゆる精神の自治体が、わが身をまもろうとする行為と見てとれるだろう。むろん組織としての話で、受付けた担当氏は、上司の意向を伝えただけなのであろうけど……。

 いずれにしろ2年間も測定しておきながら、今年に限って拒否するには、あまりに希薄な理由というしかない。もちろん、どうにも納得できないので、日光市役所本所なり、栃木県庁なりに事情を聞いてみるつもりだが、その結果はまたの機会にお知らせしよう。

 そんなわけで測定結果は出ていないが、今年も畑の肥料とするのは無理であろうと、前々から考えていた。ご案内のようにセシウム137の半減期は約30年なのだから、私が生きているうちに400 Bq/kg以下になることは、ほとんど絶望的なのである。
 しかし、まあ、放射線物質の半減期の知識を持ち、話題にしたり、ブログで読んだりする国民なんて、地球上どこを探しても日本だけではあるまいか。いっそ今年のサミットか国連総会あたりで自慢してもらいたいくらいだ。

春の酢漬け

 春めいてくると「春告げ魚」を思い出す。魚偏に春と書く「鰆…さわら」も「春を告げる魚」だそうだが、どちらかと言えば西日本での話であって、東日本では「鰊…にしん」を「春告げ魚」と呼んでいる。
 いきなりの余談だが、じつはこの「鰊」をずっと魚偏に東とばかり思っていた。しかし「鯟」と書くと「とう」と読み、まったく別の魚のようで、中国大陸に見られる白い鯉のような魚らしい。手書きに縁遠くなってずいぶん経つが、漢字のど忘れや間違いはいよいよ深刻だ。

 私の記憶では「ニシン」と言えば「身欠きニシン」だった。カラカラに乾いた「本乾もの」を米のとぎ汁に一晩漬け込み、醤油、みりん、酒、生姜を入れてこってり炊きあげた甘露煮は、惣菜によし、酒の肴によし。私にとってソウルフードのひとつと言っていい。

P1220966 冷蔵輸送が当り前になった近ごろは、店頭に「生ニシン」を見かけるようになった。ほとんどは塩焼きか煮付けにするようだが、鮮度のよさそうなものを選んで酢漬けにしている。これがここ数年の春行事のようになっている。

「ニシンの酢漬け」は、オランダが有名だが、ドイツやポーランド、北欧などでも大いに食べられている。そんなレシピをどこかで見つけた私なりの「ニシンの酢漬け」だが、けっこう気に入っている一品だ。

●生ニシン…3匹。
 お店に頼んで三枚に下ろし、腹の小骨もそぎ落としてもらう。たいがいの魚は下手なりに捌いてしまうが、にしんなど身がやわらかなものは苦手で、腹骨を落とすとなると、身肉がなくなってしまう。

にしん酢漬け003①塩をやや強めに振り、バットにならべて冷凍24時間。
 せっかくの「生ニシン」だが、アニサキス予防のため冷凍する。イカ、サバ、ニシンなどに寄生するアニサキスは、塩や酢で締めても死なず、胃壁に入り込むと七転八倒の激痛を起こすらしい。死に至ることはないようだが、2,3日でアニサキスが衰弱死するのを待たねばならない。
 ニシン王国オランダでは、マイナス20℃で24時間冷凍することが法律で義務づけられていると聞き、ならばと冷凍ニシンを使ってみたことがある。安価のうえ安心なら言うことなしだが、食味がもうひとつ感心しなかった。

②酢洗い・皮むき・そぎ切り。
 分量外の酢で塩と残ったウロコを洗い落とし、半解凍になったら皮をむく。身の柔らかいニシンでも塩と酢で締まっているから大丈夫。頭のほうの皮をつまんで一気にむいてしまう。あとはひと口大にそぎ切りにするが、中骨が気になるようなら毛抜きで抜く。

③漬け汁…以下を入れて混ぜておく。
オリーブオイル…1カップ。酢…4分の3カップ。黒コショウ粒…6、7粒。 塩・粗挽きコショウ…適宜 。粒マスタード…小さじ1。

④玉ねぎ1個分のスライスをつくり、保存ビンにニシンと交互に詰め、最後に漬け汁を注ぎ込む。好みでレモンスライス、白ワイン、砂糖、ディルその他を入れてもよい。

P1240328 冷蔵庫で一日おけば食べられ、よく漬け込んでも美味。玉ねぎやニンニクのみじん切りを添えてもよいが、味の決め手は酢にあるので、いろいろ試してみるといい。ちなみにわが家ではこれ

P1240383付言…ニシンを捌いてもらったら白子ががついてきた。もったいないのでアヒージョ(ニンニク、唐辛子入りのオリーブオイル煮)にしてみたが、やや臭みがあり、味も好みではなかった。要研究か。

伊曽保物語

 イソップ物語をあらためて調べたとき「ほう、そうだったのか」とひどく驚いた記憶がある。今月に電子配信した『本多の狐』やその続編『竜の見た夢』を書いたころの話だ。『天草本伊曽保物語』と呼ばれる資料が、吉利支丹信徒に読まれた「イソップ物語」の翻訳ものと知って興味をおぼえ、急いで神保町の古書店で購入した。

 イソップ物語が古代ギリシャの寓話集だとは、すでに知っていた。成立したのは紀元前600年ごろで、作者とされるギリシャ人アイソポスは、エーゲ海に浮かぶサモス島の奴隷だったといい、イソップはその英語表記。寓話集として集成されたのは、起源前300年ごろとされていると知っても、さほど意外とは思わなかった。
 しかし、わが国に紹介されれたのは明治に入ってから、とばかり思っていたから、はるか昔の戦国時代のころと書いてあるのは意外だったし、さらには活字によって印刷されたと知るのは驚き以外のなにものでもなかった。

本二冊 古書店で手にした『天草本伊曽保物語などのこと』は、文学博士島正三編とある130ページほどの薄い冊子で、いわゆる影印本(原本を写真製版した本)であり、すべて欧文で書かれていた。「こいつは読めんぞ。弱ったな」 と思ったが、たとえ片言でも理解してみたいと思った。
「これは何語かね」
 と一応、店主に聞いてみたが、さあ、と首をひねられてしまった。
「しかし、天草本とあるからにはポルトガル語ではありませんかね」
「あ、なるほど」
 さすが本の専門家だ。すかさず門前の小僧ぶり(失礼)を発揮、さらに加えて商人としての本領もわすれない。
「ポルトガル語なら日葡辞書が置いてあります」
 なるほど、とまたしてもうなずいてエエイッとばかり、大枚はたいて2冊あわせて買うことにした。私の単行本なら20冊ほども買える金額だった。

イソホ物語 しかしポルトガル語ではなかった。いや、部分的には使われていたが、多くはローマ字表記である、といろいろ調べてわかった。ただしポルトガル式ローマ字というやつだった。
 現在使われているローマ字表記は、英語の発音にもとづいたヘボン式ローマ字か、それを改良した日本式ローマ字。江戸時代には蘭学者などによってオランダ式ローマ字が使われ、はたまた戦国時代に来日したイエズス会宣教師は、ポルトガル語に準じたローマ字で日本語を表記したのだ。
 
 原本の表紙らしき影印に「ESOPONO」とある。ローマ字であるなら「エソホノ」と読める。あるいは『伊曽保…イソホ』つまりイソップのギリシャ語読み「アイソポス」か、と見当をつける。
 しかし、つづく「FABVLAS」が読めない。試しに開いてみた『日葡辞書』は、日本の話し言葉をローマ字表記したものでまるで役立たない。いろいろ考えたあげくポルトガル語か、と思い当たって『葡日辞典』を引く。これが見事にビンゴだったわけで「FABVLAS→寓話」とわかる。つまり『イソホノ寓話』……か。
 そうした苦労も昔の話。現在ならGoogle翻訳でポルトガル語を指定すれば、たちどころにわかる仕組みなのだから、なんだか気が抜けてしまう。

 あとはポルトガル式ローマ字の手引きを参考に読み下すわけで、たった数行の翻訳に何やら苦労させられる。このあたりに独学者の限界があるのだが、そのぶん喜びは大きい。すると読んだにちがいない吉利支丹信徒たちの喜びようが眼に浮かび、さらには李朝活字の資料とたちまち結びついてしまうところが小説書きの特権かもしれず、四〇〇字詰め千枚を超える2冊の物語を書くきっかけになるのだから、苦労なんぞはすぐに忘れてしまうのだ。
翻訳文