「薪割りは二度暖まる」
と語ったのはソローだったか、カーネーギーだったか。薪を割れば身体が暖まり、ストーブで燃やしてまた暖まるというわけだ。それで料理すれば「三度暖かくなる」とするアメリカの諺(ことわざ)もある。
薪を割って暖まるとなれば冬の話だろうし、冬支度のイメージとしてよく紹介されている。しかし、寒い最中に割った薪をそのまま焚くことは、わが家ではほとんどない。割ったばかりの薪は、よく燃えないし、煙が多くて煤がたまりやすい。タール分やクレオソートが付着して、煙突つまりの原因となり、掃除を怠れば煙道火災の危険すらある。
枯れた冬に切りだした薪の原木は、春に割り、梅雨前には雨の当たらない軒下や薪小屋に積み上げておく。そうして次の冬になれば、まあまあ使える薪になるだろう。わが家ではもう1年間、よく乾かしてから焚くようにしている。
薪にするのは広葉樹にかぎり、原木は大体購入しているが、たとえば今年のように「もらったり拾ったり」で入手することもあり、先日、一気に片づけてしまった。
それにしても薪割りは大仕事だ。しかし、けっこう人気があり、これがために田舎暮らしを選んだ人がいるくらいだ。
「薪割りを好む人が多いのは理解できる。この仕事は結果がすぐわかる」
アインシュタインがそう言ったそうだが、薪割りを単純な仕事と見ていることがみえみえで、あまり好きな言葉ではない。
薪には割りどきや割り方があり、たぶんアインシュタインは「木元竹末」という言葉を知らないのだろう。木は元(根元)から、竹は末(梢)からのほうが割れやすい、という教えだが、なぜそうなるかを考えたとき、私にとっては「相対性理論」と同じほどにむずかしい。
またストーブにあわせて玉切りしたあと、三日ほど経ってから割るほうがよい。切り口に小割れが走っているのは、乾燥して内部応力があらわれたからだと聞いたことがあり、割れにそって斧を入れてやれば、当然よく割れる。ただし、あまり乾かしすぎると、切り口が固くなって割れにくくなる。
木の種類によっても割れ方がちがう。ナラやクヌギはよく割れ、クリは見かけは固そうだが、だらしがないほどスパッと割れてくれる。サクラやケヤキはかなり手こずることが多い。木の繊維が入り組んでいるからだが、森深くで育ったものはあんがい割れやすい。風のあたりが弱いせいだと聞いたことがある。成長の仕方も割れに関係してくるわけだ。
もちろん道具にもよる。斧(おの。ヨキとも呼ばれる)が一番いい。刃先幅がひろい鉞(まさかり)は、するどい刃先が食い込むだけで薪は割れてくれない。伐採やはつり用の道具なのだろう。とにかく刃先が鈍角で重い斧がむいているが、重さがある分振りあげるのが大変、ということになる。
振りあげた斧は一気に振り下ろす。そのさい小割れを正確に狙い、木目に刃の向きを一致させる。これを刃筋と言い、当たる瞬間に手の内を締めると、たとえ埋もれ節があっても刃筋は狂わない。というような体験を短編小説に書き、電子書籍でも配信したが、それはまったくの余談。
そうした薪割りを20年間つづけたが、70歳近くなった数年前、とうとうエンジン薪割り機を購入した。オークションで手に入れたもので、格安な中国製だけに不具合が多く発生したが、曲がりなりにも使えている。動作は遅いが、27トンという強力なもので、節の部分でもむしるように割れてしまう。これで楽になったのは事実だが、「木元竹末」なんぞはまるで関係なくなった。
つまりわが家の薪割りは、いまやアインシュタインがいうところの「結果」だけの作業と成り下がってしまっている。……つづく。