タイトル買い

「やりたいことしかやらない」
 と決めて田舎に移住した話は、あちこちで書き、このサイトでも書いたことがある。
「やりたいことだけやっていたら生活できません」
 と他人には、不評サクサクのひと言だが、同じようなタイトルを見かけて、思わずクリックしてしまった、という古本買いの話だ。

 電子書籍を配信しているからには、一度は読んでおくべきだろうと思い立ち、この分野にくわしい津野海太郎氏の本を探していたとき、こんなタイトルが眼を惹いた。
『したくないことはしない』 …植草甚一の青春…
 ほうほう、そうなのか。それにしても懐かしいな、と思ったのだ。

P1240321 植草甚一氏のことはもちろん知っていた。カメラマンになりたての1960年代の半ばころか、ある分野の若者のあいだで、絶大な人気を誇っていたのを思い出す。

「百年前に生まれた、日本一POPな男。外国に行ったこともないのにニューヨーカーみたいで、貧乏なのにお洒落、若者を夢中にさせた老人――」

 と同書の帯に書かれた通りの人物で、身長150センチほどの小柄な身体を、ジーンズとTシャツ、派手な帽子とアクセサリーに飾り立て、古本屋めぐりを毎日の日課とし、かたわら若者たちの活動に興味をしめして、かれらから「教祖」のようにあがめられている。そんな様子を雑誌などで何度も眼にした。

 日本橋小網町生まれの同氏は、神田川沿いに育った私にはなんとなく近しく思えたものだが、その一方で〝ジャズ評論家〟としての植草甚一氏は、音楽的素質のまるでないに私にとっては、ほとんど接点のない人物だった。
 さらに加えて、そのころには田舎志向が芽生えていたこともあったせいか、やたらファンキーな身装をして、ひょこひょこと盛り場散歩を楽しんでいる植草氏の様子は、
「なんだかな、ちょっと違うんじゃないの」
 といくぶんか冷めた眼で眺めていたようにも思う。

 それでも津野氏が書くところの植草甚一評は、なかなかに刺激的だ。目立ちたがり屋だが、非常な勉強家でもあることにくり返し書き触れたほか、たとえばその人気ぶりを確かめるため、大谷壮一文庫の雑誌記事索引でしらべたところ、95本の関連記事があり、なかでも一番早いのが『日本読書新聞』1961年4月3日のコラムで、筆者は丸谷才一……。
 これにはびっくりした、と津野氏も書いているが、まったく同感。

「植草甚一の本質は何か? 小説の読者だ。……菅原孝標の女(すがわらのたかすえのむすめ)にはじまる系譜の輝かしい末裔は、東京中の本屋を毎日のように歩きまわる、この小柄な男なのである」

P1240318-A 丸谷氏のコラムにはそんなふうに書いてあるそうで、希代の物語読みの末裔とたたえられた植草氏がどんな本を読んだかにも興味がわいてきたので、そのような本もあわせて読んでみた。
 その結果、読書傾向はまるでちがう。それはある種当然なことであって、毎日古本を12、3冊も買い込む植草氏が、
「古本屋あるきが好きになったのも、原因はケチだったから」
 と言っているくだりには、思わずうなずいてしまった。

P1240322 そうしたわけで「やりたいことしかやらない」と決めた男が、「したくないことはしない」人物伝を暇をみて読んでいる。この図式ちょっと面白いが、同じように聞こえる言葉を、生き様の信念とみるか、単なるわがままとみるかとなると、そうそう簡単に結論を出せないし、私としては出したくない問題だ。