机にむかうのに飽き飽きしていた。東京住いのころだったら、そのまま放り出していただろう。だとすると『本多の狐』という小説は生まれなかったに違いない。
「やりたいことしかやらない」と、すべてを清算して田舎暮らしを選んだとき、「やると決めたら必ずやる」と自分に誓った。執筆に行き詰まったからといって途中で放り出すわけにはいかない。今までの私とは違うのだ、とまで思い詰めていたかどうかは忘れたが、すこし息抜きしようと東北の角館に出かけた。あるいは取材だったか、とにかく26,7年前の桜の時期だった。
武家屋敷で一人の老人が〔狐〕を削っている。多分、観光のため町から依託された老人クラブの仕事らしく、イタヤカエデの丸木を幾つかに割り、小刀でさくさく削って顔をつくる。それだけの素朴な〔狐〕だが(正式な名前はなかったと記憶している。木割り狐と命名した)、一目見て背筋がずずんときた。これだとおもった。
漂泊の民サンカの人々が伝えたという郷土玩具だが、何といっても表情がいい。胸をこころもち張った感じの立ち姿に、ツンと尖らせた鼻。とぼけて愛らしく、野性的ながら気品さえ感じさせる。そんな表情は、私が求めていた「本多の狐」のイメージそのものだった。
──中略──
あとはもう、頭の中で〔狐〕が跳び回るばかり。史料をくわえてくるかと思えば、逸話にとび跳ね、子狐のかわりにエピソードをつぎつぎと産み出す。跳ねとぶ〔狐〕の足跡を辿れば自然と物語が出来てくる。そんな感じだった。しかし、なんとも奔放な〔狐〕であったため、寝ていても夢の中で跳び回る。これには少々閉口したが、書き上げたとき七百枚に近く、削りに削って五百枚にした。今になって考えてみればよくも書いたもので、ひょっとして〔狐〕に憑かれていたのかしらん、と思われてくる。(『本多の狐』あとがきより)
長編を書きはじめて間もないころだったし、加えて発行される見込みもない応募作品ということもある。遅々として書き進まない作品だったが、日光に帰ってから嘘のように書きすすんだ記憶があり、さいわいにも時代小説大賞を受賞して、私の実質デビュー作となった。
その作品を電子書籍化するなど、当時は考えもしなかったが、それにしても30年近く前である。そのころ使っていたワープロ機は、当然のようにフロッピーディスク使用で、しかも5.25インチ型というから、いまとなっては保存データーも取り出せない。もちろん専門業者や発行元に依頼するという方法もあるが、コストの発生やら面倒な交渉を嫌って、手持ちのスキャナーによる原稿起こしを選んだ。
しかしスキャナーも古く、Win10には未対応ときている。いろいろ試行錯誤した結果、winXPをインストールしたノートPCでスキャンし、スキャン機対応のOASYSファイルを作成したあと、一太郞、Word、EPUBとファイル変換させる、という作業工程を踏むことになった。他にもやりようがあるのかもしれないが、私にはこの方法しか考えつかなかった。
そんなこんなの苦労のあとに読み返すわけだが、予想したようにその拙さに目を覆い、苦笑の連続ということになる。それでもときとして、よし、とうなずいたり、ぽん、と膝を打ったりする箇所がないではない。どこかに置き忘れてしまった推進力と飛躍力で物語を動かしている、とわがことながら羨ましく感じ、やはりな、と反省したりもする。
反省力に欠ける私にとっては、それもまた電子書籍化の効用のひとつということになるのだろうか。